夏の思ひ出

前編

「ぜったい……ぜったいまたきてね……」
「うん、もちろん。またらいねんもここでまってて」
「やくそく……して……」
「じゃ、ゆびきりしよ。ウソついたらハリセンボンの〜ます!」
「なんねんでも……いつまででもまってるから……」

1、約束の夏 2003年8月

「―さん……お客さん!!」
「ん……? うわっ!?」
眠りから覚めてみれば目の前に厳つい顔があった。……やな目覚め方だ。
「起きたかい? 目的地に着いたよ。金払ってさっさと下りてくれ」
ぼ〜っとした頭であたりを見渡す。
……見渡すまでもなかった。ここはタクシーの中だ。
「いくら?」
「2880円」
言われた額を払って車を降りる。やっぱり都会とは空気の味が違う。
都会の空気がスーパーの安売りステーキとしたらここの空気は桐箱入り米沢牛ステーキくらいか。頭の中ではバカな事考えつつ足は記憶をもとに道をたどる。
6年も経っているわりにはわりと覚えているもので予想より早く目指す祖父の家に着いた。
小6と高3ではコンパスの長さが違う。早いわけだ。
「じ〜ちゃん、ば〜ちゃん、来たぞ〜」
とりあえず玄関から声をかけてみる。反応なし。
「あのじじいようやく死んだか……」
「勝手に人を殺すなこのボケが」
まったく気配を絶って背後に現れたじじいはいきなりげんこつを喰らわせやがった。
「いってぇ……よう、じーちゃん久しぶり」
「わしはまだ80なったばかりじゃ。まだ死なんわい」
しつこいじじいだまったく。6年前とほとんど変わっていない。
ぱっと見で変わった所と言えば白髪が増えたくらいか……ちょっとだけ。
「冗談に決まってるじゃないか」
「じゃなきゃ家に入れんわい。ま、あがれ。ばあさんが西瓜を切って待っとるぞ」
ばーちゃんと6年ぶりの再会をすませ、俺は早々にあてがわれた部屋に引っ込んだ。
俺がこの村に来た理由、一応受験勉強のため。
基本的に集団に入るのが嫌いで予備校のやってる夏期講習なんてのには入らない事にした。かわりに自分で徹底的にやろうと夏の間、静かなこの村に来る事にしたのだ。
気が散る要素(ゲーム、漫画、テレビ等)がない上に、クーラーがなくても涼しい山の中。遠くで聞こえる蝉の声さえ無視すればなかなかの環境だ。
わけあって訪ねるのは6年ぶりで少しばかり懐かしい気もする。

「どうじゃ、良子さんは? 元気か?」
夕食の時ふと母親の話になった。
「近頃会社がやばいらしくてさ残業残業で過労死しないか心配なほどさ」
「やっぱりここには来たがらないんでしょうね……」
ここは失踪した俺の父親の生家。6年前何の前触れもなく母と俺の前から姿を消した父の家だ。俺は全然気にしないが母はそうもいかないらしい。
「たぶん忙しいだけだって。この頃帰ってくるなり寝てるしな」
「無理し過ぎないようにちゃんと言っておいておくれよ」
「帰ったらいっとく」
たぶん無駄だろうけど、と心の中で付け加えておいた。
この6年間で母の性格はたいてい掴んでいるから。

翌日朝涼しいうちにやれるだけ勉強。蝉もあまり鳴いてなくて集中できる。
昼、昼食後少し村の中を歩いてみる事にした。
どこもほとんど変わっていない。
小川にかかる丸木橋、その下で泳ぐメダカ達。
田んぼの真ん中に生える巨大な杉にその横にある小さな地蔵……。
目線の高さはだいぶ違うが6年前そのままの光景。
中学校の頃ここへ来たくて仕方がなかったが母がそれを許さず大喧嘩した記憶がある。
……今思ってみればどうしてここに来たかったのだろうか?

『ぜったい……ぜったいまたきてね……』

一瞬何か思い出した気がした。……何か大事な事を忘れている?
あまり大きくない池のそば……神社の裏……。

『やくそく……して……』

この神社で……誰かと何かを約束した? いつ? 
頭では悩んでいたが体は答えを求めて動いた。

『なんねんでも……いつまでもまってるから……』

徐々に頭がはっきりしてきた。記憶にかかっていた霧が晴れる。
誰かと6年前神社裏の池のほとりでまた会うと約束した。
だが、6年も経った今会えるのだろうか。そう一瞬考えたがなぜかそれはすぐに否定された。必ず会える。なぜか確信していた。
なぜなら彼女は―
鳥居をくぐらず左の小道を入る。そのまま神社を右手に見て裏の池へ。
池に出た場所のちょうど対岸にある大きな岩の上。そこが彼女の定位置。

「……6年……長かった……彼方の事情は知っていたから我慢できると思っていたけど……6年は長いよ……」
白い着物、背中まで伸びたつややかな髪、雪のように白い肌。
6年前とほとんど変わっていない。
彼女は水面を一、二度蹴り俺の横にふわりと着地する。白い大きな尻尾がふわりとゆれた。
「……ユキ……」
「やっと来てくれた……待ちくたびれた……」
そう、彼女は人外のものだった……。


2、始まりの夏 1994年8月 

確かあれは小学3年の夏休みだ。もろもろの理由で夏中田舎へいくことになって、来るなりじじいにいじめられた。嫌いなピーマン(今はもう克服済み)を釣竿に下げたじじいは俺を追いまわして遊んだ。逃げていた理由が今となっては笑い話にしかならないが当時まじでピーマンが恐かった俺はじじいから必死で逃げた。
その挙句山の中に踏み込み、結果、迷う。
雨も降って来て巨木のうろに入って雨宿りしていた。どうしようか途方にくれていた時にうろの外から聞こえる声があった。子猫のような小さな鳴き声。外を覗くと真っ白い毛並みの子狐がいた。全身びしょ濡れになり心細げに鳴いていた子狐を来るかなと思いつつ手招き。その子狐は俺の意図を理解したのか恐がりもせずうろに飛び込んできた。
「なんだ、お前も迷子になったのか?」
相手に通じないと分かっていても聞いてくれる存在は心強かったのを覚えている。
全身ずぶ濡れだったため俺も子狐も震えていた。夏といってもクーラーが要らないほどの気温。夜となれば肌寒いくらいだ。濡れた体ならばなおさらだった。
「こっちこないか? くっついてたら温かいかも」
子狐は俺の伸ばした手から逃れようとせずおとなしくしていた。
そのおかげで風邪をひかなかった様なものだ。俺も子狐もよほど疲れていたのかその後すぐ眠りに落ちた。
……ここまでは山の中で遭難すれば100%起こらないとは否定し切れないことだった。
問題は翌朝目を覚ました瞬間に訪れた。
目を開けたら女の子の顔が目の前にあったのだ。頭が混乱して固まった。
「……ん……おはよ―」
少女はそこまで言って両手で自分の口をおおった……らしい。俺は覚えていない。たぶん放心状態だったんだと思う。
そして、口をおおっていた両手を見てほーっとため息をついた……らしい。
「……よかった……無意識に化けてたんだ……」
そう呟いた……(しつこいようだが)らしい。
小3の俺の頭では何が起きているのか処理しきれずこの辺の記憶はほとんどない。
覚えているのはこの少し後からだ。
「ありがとう……あなたのおかげ……良く眠れた」
「えっ……ああ、ぼくも。ありがとう」
「……」
「……」
暫くの間。彼女はうつむいたままで、小3の俺は再び状況の整理にかかった。
で、幼い頭で考え付いたのが……
「君……名前は?」
だった。普通ならもっと聞くことがあるだろうがパニック状態の俺はこれしか思いつかなかった。
「なまえ? ……食べ物?」
「名前ないの? お父さんやお母さんはなんて呼ぶの?」
「……わかんない……私はなまえを知らない……」
彼女は急に泣き出しそうになった。泣かれるのはまずい。まるっきり俺が悪者にされてしまう。で、とっさに思い付きを口にした。
「じゃあ、俺が名前をあげる!」
「ホントに?」
「うん、何がいいかな?」
思いつきで言ったはいいがまともな物が思いつけない。シロ……イヌじゃないんだからだめ。ごん……国語でやったな……ダメ。ユキ……クラスの女の子と比べ物にならないほど白い肌にぴったり。とっさに思いついた物にしてはなかなか悪くなかった。
「君はユキ。これにしよう」
「……ユキ……それが私のこと?」
「うん、君の名前はユキ」
「ユキ……ユキ……ふふふ……いい名前」
「気にいってくれた?」
彼女―ユキは微笑んで頷いた。その頃には彼女の正体が何であるかなど気にならなかった。
「雨止んだね。よかった、これで帰れる」
「帰っちゃうの?」
ユキはぎゅっと俺の手を握り締めた。そのときの表情、ものすごく悲壮な顔だった。
すさまじい罪悪感にかられ、ユキの手を握り返すと言った。
「ううん。また会えるなら明日遊ぼうよ。帰るのは今日だけ」
「……じゃあ、神社の裏の池で待ってる」
おれは神社の裏に池なんかあったのかと首を傾げた。少なくても記憶には無かった。
「鳥居をくぐらず左の小道を道なりに。……そこで待ってる」

その日帰るなり説教が、待っていた。だが、村で初めて出来た友達が気になってさほど苦痛じゃなかった。それが3人がかりだったとしても。

翌朝、目が覚めると母が止めるのも聞かず神社へ走った。追っ手を撒くためいろいろな所を寄り道したが結局じじい一人撒く事ができなかった。
あのしつこさは今でも失われていない。
だが、鳥居横の小道に入ったとたんじじいが立ち止まった。ぽかんとしてまるで狐につままれたような顔。じじいとの距離は3m。にもかかわらずじじいから俺は見えないらしい。まあ、なんとか追っては撒けたわけでゆうゆうと裏を目指す。
さほど大きくない池のほとり、ちょうど対岸にある岩の上に彼女はいた。
手招きされたので池を迂回し横へ座る。日光もあまり差さない場所にあるにもかかわらずその岩はなぜか温かかった。
「来てくれた……」
「ちょっと、追いかけられたけどね。そうそう、不思議な事があったよ―」
あれこれ俺だけ話してユキはずっと聞いていた。ときたま楽しそうに小さな笑い声を上げて。
「ふと思ったんだけどなんでこの岩温かいんだろ? 太陽なんて当たってないのにね」
なんとなく口にした疑問に対して予想もしないっていうかできない答えが返ってきた。
「この岩は霊穴だから」
「レイケツ? なにそれ?」
「数多の国を流れる命の流れ、ココは夏だけ開く支流の一つ」
小3の俺にはちょっと難しかった。……今でも半分もわからないが。
「世界を見に行ってみる? 望む所に流れに身を任せて……」
「泳げないけど……?」
実は今でも金槌。
「大丈夫……目を閉じて横になって……」
一瞬強い流れに流されるような感覚の後、俺とユキは自分達の体の上に浮いていた。
そこから先はもう言葉にしようが無い。二人でこの星中を見て回ったとしか。
毎年夏の、数日間だけの旅。毎年たのしみにしていて忘れられない……あ、ここ6年忘れてたか……。


阿斗餓忌(あとがき)

以前書いて掲載を止めたオリジナルを再掲載です。出来は……まあ、それなりに。
前半は以前掲載したものとほとんど変りません。以前読んだ方は読み飛ばしていただいても可。続きは8月の終わりくらいになるでしょう。気になる方は気長に待っててくださいな。
BGM・陰陽座『封印迴濫』

小説の部屋へ          後編へ