紅月幻争 ―走って、走って、走って、逃げて、逃げて、逃げて。 追手は殺し、残りもまいた筈だ。暗い森の木の陰に身を隠し周囲を探る。 追手の気配は無い。それどころか自分以外、生命の気配すら感じ取れない。 暗く深い森の中。 ここまでくれば追手も来ないだろう。しかし、ここにいてもどうしようもない。 このまま森や山を越えて、人里に出れば生き延びることも可能だろう。 問題はそれが出来るか否か。 少なくても今の状態では無理そうだ。 どこかで一休みしたい。せめて、しとしとと降る雨がしのげればそれでいい。 恵みの雨と人は言うけれど、こういう時はそう思えない。 今の雨は体温と体力を根こそぎ奪っていく。 少し周囲を歩くと見上げるような巨木がありその中ほどにうろがあった。 とりあえずはここでいい。今は逃げ切った自分を褒めて休もう。 これからのことは起きてから考えればいい。 心身ともに疲れきっていたためか、うろの中に身を隠し、ホンの数秒で眠りに落ちた。 朝、いつもどおりに目が覚める。習慣とは恐ろしいものだ。 少し寝足りないので能力を使い少しだけ寝坊する。 目を覚ました後は食料調達。木の実少々とナイフ投げでしとめた小動物を軽くあぶって食べる。腹を膨らましたあとは周辺の散策。 分かったことは、昼間は普通の森だということ。生命の気配がそこかしこに存在する。 夜のあれはなんだったのか? 結局その日は適当なところで切り上げ昨夜のうろに戻ることにする。 うろには昼間の気温で暖められた枯葉を敷き詰め少しでも寒さをしのげるように。 ……少々ちくちくするのはこの際仕方がない。 日が沈み始めると、それに比例するように気配が消えていく。 何かを恐れるように。闇を畏れるように。 しかし昨夜ほど暗くは無い。空には月が。血のように紅く染まった月が輝く。 その月を見ていると心の奥底で何かが疼く。こんな夜は早く寝てしまうに限る。 と、気配が。 警戒しつつ、木の下を見下ろす。何もいない。しかし、気配はすぐ近くに。 「あ、やっぱり人間発見。昨日の違和感はあんただったのか。そーなのかー」 驚いて、木から落ちそうになった。そいつは木の上にいる自分と同じ高さにいた。 下を見て見つからないのは当然。 問題はそいつが宙に浮いていると言うこと。 「逃げない、抵抗しないってことは食べていいってことね。遠慮なく頂きます」 飛び掛ってくる少女のギラギラ光る目は人間のものではない。しかし、驚く暇も無いようで、身体は危機に反応して木から飛び降りる。途中、木にナイフを突き立て落下スピードを軽減。 「あんたは何者? 何でいきなり襲い掛かってくる?」 「私はルーミア。宵闇の妖怪よ。襲い掛かる理由は目の前に食料がいるから」 「妖怪ですって? ……私一体どこに迷い込んだのかしら?」 「もしかしてお外から迷い込んだの? それはご愁傷様。あなたの行き着く先は私のお腹の中しかないよ」 「お断りよ。せっかく逃れられたのに、ここで食われるわけにも行かない」 「抵抗するの? ただの人間が?」 「……ただの……ただの人間だったら私はここにいないはずよ。逃げる必要が無いから。……妖怪だかなんだか知らないけど……」 地上の少女がナイフを取り出す。 「窮鼠猫をかむわよ?」 投擲。 「そーなのかー。ただの人間じゃないのね。闇符―っっきゃあ」 ナイフの到達が予想よりはるかに早かった。それ以外にも当たりそうに無い射線のナイフまで殺到してきた。ルーミアは符を使うのを諦め闇の弾丸で応戦。 「……人じゃないのはよく分かった。けど私の力が通用すると言うことも分かったわ」 地上の少女はポケットから懐中時計を取り出した。文字盤が壊れ、針も動いていないそれは少女がボタンを押し込むと同時に時を刻み始める。 同時に全てが動きを止めた。 ナイフをいろんな場所からルーミアめがけて投擲。ナイフは少女の手から離れた時点で静止する。その世界で動いているのは少女だけ。音も無く、気配も無く、動く存在は少女のみ。 「相手が生身なら……手傷は負ってくれるはず……」 解除。少女のいた場所のルーミアの妖弾が着弾し、ナイフがルーミアめがけて襲い掛かる。 「あわわわわ、何がどうなってるの〜」 ルーミアはなりふり構わず離脱を試みた。そのせいか、ナイフは手足に数本突き刺さるだけだった。 「逃げるなら止めはささないけど……」 カチッ。止まった世界の中をルーミアの側へ。ヒットしたナイフを抜き取る。 「大事な武器だから。ここでは身を守るものが必要みたいだから返してもらうわ」 ついでに外れたナイフも回収。 世界が再び動き出す。 ルーミアは大泣きしながら森の闇に消えた。 「ふう、なんて所なの……どこかに安全な場所はないのかしら」 「あら、そんな場所近くには無いわよ?」 「誰?」 今度は素直に上を見上げる。真上に上った紅い月をバックに背中に蝙蝠の翼を生やした少女が浮遊している。 「こんなにも月が紅い夜に、面白い運命の糸が手繰れたからちょっとお散歩してみたけれど。……予想以上だわ」 「それはどうも。あなたも妖怪っていうやつ? 少なくても人間には見えないけど」 「下等な妖怪と一緒にしてもらっては困るわ。私はヴァンパイア。紅魔館の主レミリア・スカーレット。それなのにあなたは恐れようとしない。フフフ、興味がわいたわ」 「ヴァンパイアのような人間になら何度もあってるから怖くなんて無い」 「でも本物に会うのは初めてでしょ? もう少し恐れなさいよ。……先に言っとくけど、そんなもの効かないわよ」 地上では少女が二本のナイフを交差させていた。要するに十字架だ。 「……やってみただけよ。で、彼方も私の体が目的?」 「こらこら、へんな言い方しない。最終的にはその血が欲しいけど。それより先にちょっと遊ばない?」 「へえ、吸血鬼のお嬢さんと何して遊ぶの?」 「死なない程度の殺し合い。彼方の目を見れば分かる。……紅い血が好きでしょ?」 びくっと少女の肩が震える。 「その身体に染み付いた血のにおい。一体何人手にかけたのかしら? 理由はどうあれ大量殺人犯して幻想郷に逃げ込んだのね。……そんな彼方の業に染まった血はどんな味がするのかしら? 非常に興味深いわ」 レミリアは唇をぺろりとなめる。妖艶なしぐさだ。 「好き勝手言って……何も知らないくせに……」 ギリリと歯をかみ締めて少女はナイフを握り締めた。 「そうね、過去には興味ない。興味があるのは彼方の血の味と、私にどこまで抵抗できるかのふたつだけ。もし、生き残れたら……何か欲しいものは?」 「衣食住。あと、職場」 「ふふふ、面白いわね。名前は?」 「……捨てたわ」 「そう。じゃあ、生き残れたら衣食住の保障と職の確保。あと、私が名前を付けてあげる」 「それはありがたいわ。……でも、後悔しても知らないわよ?」 「後悔? 私が? 莫迦なことを言わないで」 レミリアの背後にある月が歪むほどの妖気が立ち上る。 「こんなに月も紅いから、本気でやるわよ」 「私もこんなところで死ぬわけには行かないの」 「来るがいいわ、月夜の殺人鬼!」 「後悔するといいわ、紅月の吸血姫!」 紅い月の光を受けたナイフが闇を紅く切り裂く。 「ナイフは投げれば無くなるわ。そんなことして大丈夫なの?」 最初の投擲をレミリアは指で挟んで止めて見せた。そしてそれを投げ返す。 少女は別のナイフでそれを弾き摘み取る。 「大丈夫。ナイフなんて無限に在るのと同じ」 空中からは大量の妖弾がばら撒かれ森の中を紅く染め上げる。地面に着弾し爆裂するそれを掻い潜り、第2の投擲。今度は時間差で数本。狙いは翼だ。相手に空中にいられては圧倒的に不利すぎる。さらに時を止めて別の角度から数本、これも時間差で。とにかく吸血姫を地上に降ろすことが優先事項だ。 時間停止を解除。 「あら、さっきより多いのね。だけどこれくらいではかすりもしないわ」 レミリアは軽く身体を捻って全て回避。別角度からの投擲もすぐさま反応してかわした。 「……? あんな角度から投げた? なんだか面白いトリックがありそうね」 「種も仕掛けもない奇術が得意なの」 「高速移動と言うわけでもなさそうだし……。まあ、いいわ。すぐに謎を解いてあげる」 「残念、もう終わるわ」 すでに第3の投擲、ナイフの配置は終わっている。回避の予想も合わせてセットしてある。 レミリアの眼前に突如現れるナイフ。 「っ!?」 とっさによけるがその移動も予想されていて……。 ドスドスドス! 回避し切れなかったナイフが主に背中に突き刺さる。背中に縫いとめられ羽ばたくことの出来なくなったレミリアはなす術もなく墜落した。 チャンスとばかりに接近し、止めをさそうとナイフを振り上げる。ヴァンパイアなら首をはね、心臓を破壊すれば死ぬはずだ。 だが、背筋になにか得体の知れないものが走り、思わず足を止める。 「……なかなかやるわね。昼間だったら危なかったかもしれないわ。けどね、満月の夜は無敵なのよ」 突き立ったはずのナイフが再生する肉に押し出されて地面に落ちる。 レミリアの表情は楽しくて仕方がない様子。 「正直少し甘く見てたわ。今からは本気で行くから、あっさり死なないでね?」 ―天罰『スターオブダビデ』― レミリアから数条の紅い光が伸びる。それらは網目のように交差し少女の周囲を取り囲んでいく。さらに巨大な妖弾が少女を執拗に攻め立てていく。 「どうしたの? 避けるばかりじゃ勝てないわよ?」 スペルカードを持ち出したレミリアにはなかなか隙がない。この光の狂乱の中ナイフを回収するのは危険。それゆえ一撃で、さっき以上のダメージを与えなくてはならない。 ……そんなことが可能なのか? 否、実行するのみ。 正面から、側面から、背後から、果てはレミリアの頭上からありったけのナイフをばら撒く。それらは全てデコイ。本命はたった1本自分の手に残した大振りのナイフ。大人の男の首ですら斬り落したナイフ。これの一撃でもって終わらせる。 止まった時が動き出し、レミリアにナイフが降り注ぐ。 しかし、レミリアは口元に笑いを浮かべていた。背後にいた少女はそれに気づかない。 一瞬後、レミリアの姿は大小さまざまな蝙蝠に。ナイフをその姿で回避し、続けざまに襲ってきた本命の一撃をやり過ごす。 呆然としている少女の背後で実体化。隙だらけの後ろから息の根を止めるのは簡単だったが、レミリアはあえてしなかった。少女が逃げるのを黙って見過ごす。 「……蝙蝠に化けることも出来るのね? 聞いてないわ」 「もちろん話してないわよ。それより一つ分かったことがあるの」 「何?」 「彼方の能力。正体は時間。そうでしょ?」 少女の表情がこわばった。知覚出来ないはずなのに、あっさりと見切られた。 「面白い力だわ。私の『運命を操る程度の能力』には劣るけど。色々役に立ちそうな力だわ」 「だから……だからなんだって言うのよ!」 ナイフを手にレミリアに向かってダッシュ。目の前にきてもレミリアは避けようともしない。 「一つ言っておくことがあるの―」 首まであと数センチ。人間相手なら必殺の距離。 だが、突如その手が止まる。とんでもない反応速度でレミリアに手首を掴まれた。 そのまま、何が起こったかわからぬまま地面に叩きつけられる。 痛みに全身が軋しみ、悲鳴をあげる。 「ヴァンパイアに近接戦闘を仕掛けるのは愚かなことよ? 人間の動きなんか目をつぶってても避けられるから」 「……弱点なんてないの?」 「在るわよたくさん。日の光に当たれない、流れる水に力を奪われる、臭いアレなんて名前を出すのも嫌な病弱っ娘よ」 「そう。早く血をすすって息の根を止めたら? 早くしないとどうしようもなくなるわよ?」 「そうね。じゃあ、お言葉に甘えようかしら」 レミリアは少女の襟首を乱暴に引きちぎると白い首をあらわにさせる。 「あなたの血が美味しいなら最後まで飲めるかしら? そうすればあなたも同族になれるはずよ」 「ごめんこうむるわ。私は人間のままでいい。雨を恵みと思えない種族になんかなりたくない」 森が、木々がざわめく。実は少し前からなのだがレミリアは気づいていなかった。 風はない。しかし、木々の葉が動きざわめく。正体は…… ポツリと少女の顔に水滴が落ちてきた。 「つっ!? まさか!?」 空は分厚い雲にさえぎられ紅き月はどこにも見あたらない。水滴の数は増し、森に恵みを与える。 慌てて飛び立とうとするレミリアの足首を少女が掴んだ。 一瞬遅れ。その間に雨粒がレミリアを打った。 「――!」 声にならない悲鳴。翼をはためかす力すら水に奪われレミリアは頭から地面に落ちた。 雨は瞬く間にきつくなり、地面にはすぐに水溜りが出来始める。お気に入りのドレスは泥水を吸い、さらにレミリアを苦しめる。身体は硬直し、ただただ、わずかに震えることしか出来ない。 「……これで終わりね」 最後の気力で声のほうを振り返る。雨の中、哀れむような目で少女が見下ろしていた。 助けて。そう言おうとするが唇も硬直し震えるばかり。 これがさっきまで脅威だった存在と同じなのか? 雨に打たれ震える姿は道端の箱の中で震える捨て猫と変わりない。 今の状態なら息の根を止めるのは難しくない。 そうするべきだ。雨が止めば、再び脅威となる。 だが― 「……今までの私なら迷いなんかしない。けど……逃げる時に過去とは決別したつもり。……生まれ変わった私は……そこまで残酷になれない」 そのつぶやきはレミリアの耳にすら届かず消えた。 暖かい。うっすらと意識が戻ったレミリアは最初にそう感じた。 天国という場所なのか? どうも違うようだ。雨の音が聞こえるにもかかわらず自分を縛る力はない。その代わりちょっとちくちくする。 「起きた?」 すぐ側から声が。意識がはっきりする。先ほどの少女が自分を抱きかかえていた。 濡れた服は取り払われ二人とも裸で抱き合う形だ。 場所は大きな木のうろ。昼間少女が集めた枯葉に包まれていた。 ちくちくの正体はこれだ。 「悪いけど服は切り裂かせてもらったわ。濡れて張り付いて脱がせにくかったから」 「……何してるの?」 「雨宿りね。濡れたままじゃ風邪引くから服は脱いで、そのままじゃ寒いから枯葉の中に」 「……完全に私の負けね。衣食住の保障と職の確保だっけ?」 「名前をつけるが抜けてるわよ?」 「そうだったわね……でも後で。まだ体がだるいから―」 レミリアはぎゅっと少女にしがみつく。 「もう少しこのままで」 「ダメよ。起きて襲い掛かられたら困るから」 「……仕事は私の屋敷のメイド。住み込みで3食キチンと付くわ」 「紅魔館っていったかしら?」 「力あるものが他を制する。彼方ならメイド長になれるわ。それもすぐに」 「痛っ!」 不意にレミリアの鋭い爪が少女の首筋に紅い傷をつけた。レミリアはこぼれる血をつっと舐め取る。 「契約よ。彼方は今より私のもの。紅魔館で生きると言うことはそういうこと。そして、彼方を縛るもう一つの鎖もあげる」 ―「十六夜咲夜」― 「月の似合う彼方にはぴったりの名前。紅き月の悪魔に使える犬にはふさわしい名前よ」 「それじゃあ、飼い主のことはなんと呼べば言いのかしら?」 「お嬢様でもレミリア様でも好きなように。……咲夜、最初の命令よ」 『咲夜』初めてそう呼ばれたにもかかわらず何故かしっくりくる。 「はい。何でしょうか、お嬢様?」 「お腹空いたから血を飲ませないさい」 「同族にはしないで下さいね?」 「今はね。けれど、咲夜からお願いしてきた時はいつでもいいわ」 「ご安心を、それはありえませんから」 「寂しいことを言うのね」 「命がある限りはキチンとおつかえしますよ?」 「嫌気がさしても逃がさないから」 「はいはい」 ―紅魔館 レミリアの部屋 「初めて出会った時も急な雨でしたね。おかげで今日のお月見は中止ですね」 「ホント、あの時も雨さえ降らなければ私の勝ちだったのに」 「けど、雨が降らなければ今ここに私がいませんわ」 「それもヤダ」 部屋にいるのは館の主レミリアと、あっという間にメイド長に上り詰めた十六夜咲夜。 「私にとっては、まさに恵みの雨でしたから」 「衣食住と職と、新たな名前をまとめて手にしたからよね。私には数少ない黒星が付いたけど」 「負けることも人生経験のうちですよ」 「20年も生きていない咲夜に言われるとちょっと腹が立つわね……」 「気のせいですよ。それよりお嬢様、明日はどうなさるおつもりです?」 「雨が止めば霊夢のところに行ってくるつもり」 「きっと雨ですよ?」 「それもそうね。それじゃあ、雨が止むまで可愛い飼い犬と遊んであげるわ」 「遠慮しますわ。仕事がありますから」 部屋を辞そうとした咲夜だがレミリアに捕まりベッドの上に押し倒される。 「主の欲求を満たすのも大事な仕事の一つだと思うけど?」 咲夜は小さくため息をつき、諦めたように襟元を緩めた。 「少しだけにしてくださいね、他の仕事に差し支えますから……」 「ホントはうれしいくせに。病み付きになってるくせに……」 尖った牙が白い肌に穴を開ける。 咲夜は血を吸われるその感触に身を震わせた。 こうして紅魔館の主従の夜は更けていく…… |
あとがき 現在某所で行われている東方最萌トーナメントにて瀟洒なメイド・十六夜咲夜支援で書いたもの。といいつつ実際はレミリア支援に間に合わなかっただけ。 ついさっきアップローダにあげてきました。が、投票がまだ。 コード取れないよ〜〜〜。 紅魔館組、レミリアが負けたので咲夜さんぐらいは勝ち進んで欲しい。 不死身しかとりえのない妹紅なんか目じゃないハズだ! |