「先輩、今週の土曜、お暇ですか? もしよろしければ、少し付き合って頂きたいのですが・・・」
昼休み。
夏休み入りを週末に控えた木曜日、気分も晴れ晴れとしていた俺に突然の来客。
相手は女の子。
俺を「先輩」と呼ぶところを見ると、少なくとも後輩と思われる。
「・・・・・・ん、俺?」
あまりに唐突のことで、返事が遅れる。
女の子は真っ直ぐに俺を見据え、ただ静かに頷いた。
「・・・人違いじゃないか? 少なくとも俺は君とは会ったことがなかったと思うけど」
そう、俺はこの子を見たことが無かった。
だが、女の子はそれについて考えるでもなく口を開いた。
「はい、私も先輩とお話をするのはこれが初めてです。 ですが、人違いではありません」
俺にはどうにも意味がわからない。
初めて会った女の子が、突如俺に用事があると・・・
俺がしばらく考え込んでいると、女の子は少し困った様子で続けた。
「あの、もしかしてご都合が悪かったですか?」
既にそれ以前の問題だった。
この子が誰なのか、俺に何の用事があるのか・・・・・・と、疑問が止め処なく出てくる。
だが、俺にはこの子が冗談で言っているとは思えなかった。
それだけ、この子の目は真剣だったのだ。
「いや、そういうわけじゃないんだ。 ちょっと突然のことなんで・・・」
半分本音、もう半分は返事を考えるための時間稼ぎ。
今週の土曜、特に用事があるわけでもない。
というか、金曜に終業式で、土曜はもう夏休みなのだ。
だが、軽々しくYESと返事をしていいものなのかもまた疑問。
それでも、好奇心というものはあるもので・・・・・・
「わかった。 んで、俺は土曜にどうすればいいんだ?」
・・・意外と軽くYESと返事をしていた。
それを聞いた女の子は、それはそれは嬉しそうに言葉を返す。
「はい、お昼・・・・・・1時ごろに裏の公園まで来て欲しいんです。 お話はそこで・・・」
やはり内容は言わない。
少々事情があるのだろう。
とりあえず行くと言った手前、今さら断る気も無い。
「わかった、土曜の1時に裏の公園だね」
「ありがとうございます。 あの、待ってますから・・・」
そう言って一礼すると、その女の子は走り去った。
裏の公園というのは、学校の裏にある公園の通称だ。
特に何があるわけでもなく、何の変哲もないちょっと大きいだけのただの公園。
それ故に、あまり人も集まらないのが特徴。
微妙に納得しながら、俺は昼食に戻った。
・・・と、突如俺の前に一つの影が現れる。
「おい、今の子誰?」
話しかけてきたのは俺の友人。
色恋沙汰には妙に敏感なお年頃であることを主張している謎な奴。
「いや、土曜にちょっと付き合って欲しいことがあるんだってさ」
「え、マジ!? おいおい、色恋沙汰には興味なさそうなお前が・・・・・・そうか、兄さんは嬉しいぞ!」
既に意味がわからない。
とりあえず気が済むまで続けさせてやるのが俺のいつもの対応。
「でもさ、大丈夫なの? お前、試験やばかったんだろ?」
突如話を切り替えられ、俺の耳が敏感に反応する。
試験? 大丈夫?
確かに試験は散々な結果だった気がするが、それが何の関係があるのかがわからない。
悩む俺を見て、友人は続ける。
「補習だよ、補習。 あれって土曜だろ?」
その言葉を聞いて、一瞬思考が止まる。
だが、徐々にその言葉の意味が明確になっていく。
あと一つ、何かの教科を落としてしまえば進級が危険なのが俺の現状。
それでも、赤点を取った教科はなかったはずである。
少々安心気味の俺に、さらなる追撃。
「あと1教科残ってるだろ、数学がよ」
血の気が引くとはこんな感じなんだろう。
まだ最後の難関が残っていたのだ。
最も自信のない科目、数学。
あまりものダメっぷりに、記憶からも抹消してしまっていたようだ。
今の今まで、すっかり忘れていた。
「・・・・・・やべぇ」
正直自分でも驚いた。
こんな言葉しか出てこない。
だが、もう今さらどうしようもないのも事実。
「・・・ま、まぁ、今さらだし、どうしようもないだろ」
思ったことをそのまま口に出す。
そうでもしないと、今の俺なら簡単に心配で潰れるだろう。
かなり心配性の俺にとって、この状況はあまりに大きなものだったのだ。
◇
5時間目、1学期の最終授業。
昼休みの間、ただひたすらに心配し続けていた。
だが、結果さえ返ってくれば、どっちに転んだとしても心配は削がれるかもしれない。
・・・そんな俺にさらなる追い討ちがかかる。
それは数学の時間。
『自習(試験結果は明日、式終了後に配布します) ゴメンネ♪』
黒板に大きく書かれた白い文字。
同時に、俺の頭の中も真っ白になった。
気付いた時には、既に数学の時間が終わっていた。
◇
帰り道。
途中まで一緒だった友人とも別れ、一人ただ歩き続けていた。
心臓の鼓動が手の平まで伝わってくる。
「飯食ったらすぐ寝よ」
気を紛らわす最高の手段、それは寝ることだ。
だが、そんな時だからこそ、運命とは残酷なもので・・・・・・
「何でこんなとこに・・・・・・」
家もすぐそこに見える、ある十字路。
そこには、あの時の女の子がいた。
鼓動がさらに大きくなる。
自然と俺は歩みを緩め、物陰に隠れるように進路を変える。
今あの子に会えば、あの子は俺の動揺に気付くかもしれない・・・・・・いや、むしろこの鼓動すら聞こえているかもしれない。
こういった状況で、ありえないことが当たり前のように感じられる。
それこそがまさに、俺が小心者であるということなのだろう。
女の子は、少しの間俺の家を見つめていたが、何かに気付いたようにすぐにその場を去っていった。
俺はまさにチャンスと言わんばかりに、猛スピードで家の中に滑り込んだ。
「ふぅ、ただいま〜」
家に入るとすぐに部屋に戻り、布団の中に潜り込んだ。
今寝ることができればどれだけ楽か。
だが、俺の脳はそう簡単に逃げることを許さない。
試験の結果、女の子のこと、話の内容・・・・・・
それらが俺の頭の中を駆け巡る。
数時間後、晩御飯に呼ばれる。
実は、こんな状態だと団欒の時間が少しありがたい。
父親が早くに死に、母親も家に帰るのが遅い。
今家にいるのは俺と妹だけ。
多分妹は俺のこの状態に気付いている。
まぁ、性格上こんなことが何度もあれば気付くのも普通だが・・・
そんな時、「どうしたの?」と聞いてくるのがこの妹なのだ。
自分から話す気はない分、聞かれると答えるのが俺。
だからこそ、話を聞いてくれるこいつには何度も感謝している。
「また何か悩み事?」
そう聞いてくる妹に、ため息交じりで答える。
「あぁ、ちょっといろいろとな」
結局、妹の結論は、「気にしすぎてもダメ。 もう試験も終わったんだから、なるようにしかならないよ」とのことだ。
それもそうなのだ。
実際悩むことでもないはずなのに、俺の性格上、そう上手くはいかない。
もちろん、妹もそれを承知の上。
どうにもならないのがわかっているので、一時的でも俺の気が和らぐように努めている。
そうなると、こっちも元気が出たように振舞ってしまうのが兄の性とでも言おうか。
そうして、俺はそのまま食事を続けた。
とりあえず晩御飯を済ませた俺は再び布団に潜り込む。
もちろん眠るため。
だが、予想通り寝ることはできなかった。
頭の中を巡るのは今までと同じこと。
食事中は妹のおかげで、かなり気が楽になったが、時間が経つと元通り。
まぁ、答えの出せない以上、同じことが巡るのは当然のことなのだが・・・・・・
分かってはいるのだが、そう簡単に受け入れられないのが俺。
どれか一つでもいいから答えが出れば・・・・・・などと考えてしまう。
結局、そのまま眠ることなく朝日を見ることになってしまった。
◇
翌日、終業式。
体育館で行われる式、移動中すら俺は周りを警戒している。
今までに何度この性格が治ったらと願っただろう、今もそんな気持ちだ。
・・・と、こんな時には案の定とでも言おうか、俺にとって悪いことばかり起こるもので・・・・・・
「・・・やっぱりか」
あの子がいた。
ふと、目が合った。
「あっ・・・」
女の子は会釈すると、足早に体育館の中に入っていった。
その時、突然霧が晴れたように心が軽くなった。
俺にも意味がわからない。
ただ、少しどうでもよくなったような気がした。
試験の結果がどうあれ、土曜はあの子に会いに行こう・・・・・・と。
◇
だが、そうもいかないのが現実。
式中、校長先生のありがたいお言葉を聞きながら、徐々に冷静さを取り戻してしまったのだ。
これがまた厄介なのだ。
式も終わり、待ちに待っていた数学の試験結果の配布。
緊張もピーク。
名簿順に渡されていく用紙を見ながら、自分が赤点でないことをひたすら祈り続けた。
そして俺。
用紙を受け取り、そのまま急ぎ気味に自分の席へ戻る。
とりあえず、気を落ち着ける。
ここには結果がある。
それは今何を考えたところで揺るぎのない事実だ。
だが、それが揺るぎないだけに、俺を躊躇わせる。
・・・・・・と、突然。
「おい、何やってんだ? どうだった、大丈夫だったか?」
かなり異常な状態を晒していたのだろうか、友人が心配そうにやってきた。
「いや、まだ見てないんだけど・・・・・・」
「あ? んなもんは時間かけても結果なんてかわらないんだよ。 さっさと見て、悪けりゃ解決法を探した方が無難だと思うぞ」
こんなとき、こういった友人には感謝できるものだ。
ちょっと理屈さえ通ったことを自分ではない誰かが言ってくれるだけで、かなり気が軽くなる。
「・・・そうだな。 んじゃ、見てみますか」
そう言って、ゆっくりと用紙を開く。
・・・・・・そこには・・・・・・・・・
◇
土曜日。
俺はあるところに向かっていた。
そこは・・・・・・
「あ、先輩。 来てくれたんですね」
女の子は俺の姿を見ると、俺の傍に駆け寄ってきた。
そう、ここは学校裏にある公園。
「おう。 で、突然で悪いんだけど、話って何かな?」
「はい。 唐突ですが、先輩のお母さんに関しての話なんです」
「え!?」
驚いた。
まったく想像もしなかった言葉が返ってきたのだ。
そんな俺にかまうことなく、女の子は続けた。
「先輩のお母さん、私の父と再婚することになったのって知ってますか?」
・・・・・・そして、やはり俺の思考は止まるのだった。
「やはり知らなかったんですね。 明日に先輩が私の家に来るということになっているらしくて、だから早めに伝えた方が良いと思ったので」
知らなかった。
というか、にわかには信じがたい話だ。
確かに俺の母親はそんなことに関してかなりルーズだ。
いや、むしろ帰ってくるのが遅くて、そんな話をする暇もない。
「あの、信じられないと思いますが、本当のことです」
俺の気持ちを察してか、女の子が続けた。
確かに嘘を言っているようには見えない。
これだけ必死に伝えようとしているのだ。
疑いたくない。
「うん、君を見てると嘘にも聞こえない」
「あ、ありがとうございます」
結局、話はそれだけだったらしい。
その後、女の子の家に誘われた。
そこで、その子のお父さんから話を聞き、やっと確信することができた。
内容的には物凄い話だが、話すだけには俺の考えすぎだったというべきなのだろうか・・・・・・
まぁ、これで無事、夏休みを迎えることができる。
・・・・・・はぁ、この性格って、やっぱり辛いわ。
◇
翌日。
俺は学校にいた。
「わかりますか? ここがこうなって・・・・・・」
補習。
そう、数学が赤点だったのだ。
正直、自分でも今の状況が今も信じられない。
あの金曜日。
「お願いします、何とか補習の日をずらすことはできませんか?」
何度も先生に懇願した。
だが、先生の返事は当然・・・
「いい加減にしなさい、無理だと言ってるじゃないですか。 別にそんな重要な事情があるわけでもないんでしょ?」
そう、女の子に会いに行くなんていう理由では明らかに無理だろう。
だが、俺は引き下がらなかった。
何故だろう、あの子の目を見た瞬間、絶対に行かないといけない気になったのだ。
「確かにそうですが・・・・・・、お願いです、俺にとっては天下分け目な事情なんです!!」
先生は俺の顔を覗き込んだ。
程なくして。
「・・・・・・わかりました。 ではもう一度だけ私に言って下さい。 これはあなたにとってそれほどに重要なことなのですか?」
「はい!」
先生の言葉に、俺は即座に返答する。
そう、俺にとっては絶対に譲れないことなのだ。
「ふぅ、わかりました。 一日だけずらせるように私からも働きかけてみましょう」
「はい、ありがとうございます!!」
「その分、あなたにはレポート提出を課題として追加します、いいですね?」
「わかりました。 本当にありがとうございます!」
俺の信念が、大きく結果を残せた瞬間だった。
その時の先生の顔が、少し嬉しそうだったのが未だに記憶に残っている。
そして、ある種の感動を覚えながら、俺は天下分け目の金曜日を終えたのだった。