お弁当を作ろう


 「で、あるからしてー……」

 チョークの破片が勢いよく飛びながら、黒板がどんどん埋め尽くされていく。

 四限目もあと二分―

 セピアは黒板の左下に書かれた数式を見ようと、背を伸ばしてみたり人の間から覗いてみたりと、やたら動いている。
 廊下側の一番後ろに座るセピアだが、座高の高い男子生徒が作るバリケードの先を見るのは至難の業だ。
 それでもなんとか目に入った数式をノートに写していく。
 時計は常に一定の間隔で進むが、教師のチョークはどんどん加速する。
 左側に書く場所が無くなると、びっしり埋まった黒板の右側を粉をまき散らしながら消していく。
 教師の手は止まる事を知らず、白く汚れた黒板の上からどんどん文字を書き連ねる。
 セピアも教師に遅れをとらず、一文の差を守り続けている。

 「こう……なる!」

 ばし!
 と、嫌な音を立てて勢い余ったチョークが折れる。
 同時に授業終了を告げるチャイムの音が学校の全スピーカーから流れ始めた。
 おなじみのチャイムの音は、黒板に書かれた残りの文字を超高速で写す生徒たちにはずいぶん遅く響く。

 「うっし!」

 セピアのシャープペンシルの芯が、勢いよくノートの上に押しつけられて仕舞われる。

 「お昼っ!」

 セピアは誰よりも早く立ち上がり、廊下側の最後列という地の利を生かして一番に教室を抜け出した。




 購買部にはもうすでに生徒が集まっていた。
 おにぎりやパン、飲み物、それにちょっとしたお菓子が並べられている。
 セピアは迷わずパンのコーナーにかけより、『いつものヤツ』を手に取る。
 それだけを持って、他には目もくれずレジに並んだ。




 「ふぅ……」

 「なにため息なんかついてるのさ」

 自分の席に座って一息ついたセピアに、イスを持ってきたセピアの友達―サキが声をかける。
 セピアはサキが座りやすいように机を動かす。
 机を動かすとき、一番後ろの席だから通行の邪魔にならないよう気を遣わなければならない。
 セピアはこの席での生活が長いため、すぐに最適な場所にセッティングする。

 「ため息ってもんでもないよ、ただちょっと、ほっとしただけ」

 昼休みの喧騒の中、セピアはしんみりとそんな事を言った。

 「はぁ? ほっとしたって」

 「いや、我ながらオバンくさいのはわかるけどさ、今そんな気分なわけよ」

 いぶかしがるサキに、セピアはすぐに取り繕った。

 「……それはいいとしてさぁ、なんで**(セピアの本名)はいつもそれなのよ」

 サキは、セピアが今まさにラップをはがしてかぷりとくわえたパンを指した。

 「ほへ?」

 パンをくわえたまま出されたセピアの声はくぐもって、何とも情けないものになった。

 「…………」

 頬をいっぱいにして咀嚼するセピアが口の中を空にするまで待って、サキはもう一度疑問を口にした。

 「なんでいっつもあんたはやきそばパンなのさ」
 「おいしいからに決まってるじゃん」

 間をおかず質問に答えたセピアは、両手で慈しむように持ったやきそばパンに再びかぶりついた。

 「にしても、弁当って選択肢はないわけ?」

 そう言うサキは、セピアの机に広げた小さめの弁当箱の中身をつついている。

 「お弁当?」

 口に入っていたパンをこくんと飲み込んで、セピアは訊ね返した。

 「そ、お弁当。あんたいっつもパンじゃん、しかもほとんどソレだし」

 サキはもう半分ほどしか残っていないセピアのやきそばパンを指す。

 「んー……」

 セピアはやきそばパンを両手に持ったまま、少し考えるそぶりを見せる。

 「……おいしいし、やきそばパン」

 「それにしたってあんた」

 サキは一度言葉を切り、卵焼きを口に放り込んだ。

 「それにしたってあんた、飲み物も買わないし」

 それを聞いたセピアの目が光った。

 「サキ、わかってないなぁ……」

 「なにがよ?」

 「せっかくおいしいものを食べるのに、なにか飲んだりしたら台無しじゃない」

 サキの顔は自然と腑に落ちない、といったものになる。

 「なんで台無しになるのさ」

 「わからないかなぁ……」

 セピアは細かな説明をしようとせず、なぜ分からないのだろうと小首をかしげてから、またやきそばパンにかぶりついた。

 「たまには弁当にしなよ」

 「ふぁきふぁ……」
 「食べてから喋りなさい」

 口の中のやきそばパンをゆっくりと楽しみながらかみ砕く。
 飲み物は何も取らずに、こまかくなったやきそばパンがゆっくりと喉を下る。

 「……サキは、おばちゃんが作ってくれるからいいよ」

 「あー、まぁ、そうだけどさ」

 サキはきまりが悪そうに言う。
 セピアの母は、大変忙しい身である事を聞いた事があった。
 悪い事を言ったかな、という小さな罪悪感を感じたのだ。

 「…………」

 「…………」

 「お弁当かぁ……」

 セピアがぽつりと、そうこぼした。

 「なに? 作る気にでもなった?」

 サキは意識して明るめの声でそう訊ねた。

 「うん、明日作ってくるよ、そうだ!」

 サキの目には、セピアの頭上に光る電球が見えたような気がした。

 「なんか思いついた?」

 「サキの分も作ったげる!」

 セピアは屈託のない笑みを浮かべ、最後に残った端っこのやきそばパンを口に放り込んだ。




 夕方の商店街はにぎやかだ。
 そんな商店街の中心にある、主婦で混み合うスーパーにセピアの姿があった。

 (タマゴ、タマゴ……)

 (レタス、レタス……)

 (タマネギ、タマネギ……)

 セピアは目的の品を次々と買い物かごにおさめていく。
 数分後には店のおもてで、自前の買い物袋に材料を入れたセピアの姿が見うけられた。




 朝日の差し込むセピアの部屋。
 寒色系でまとめられている部屋はしかし暖かみがあり、真っ白のシーツの上で寝息を立てるセピアの寝顔は安らかだ。
 そんな静かな風景が、日が昇るにつれゆっくりとほつれはじめる。

 “へろーん……”

 やけに鮮明な、声ともつかない音がセピアの頭上から流れる。

 “へろーん……”

 1分ほどの静寂を破って、再びそれは音を発した。
 少し音量が大きくなっている。

 「……ん……」

 セピアが身もだえして、けだるそうに頭上のそれに手を伸ばす。
 そこには完全な球形の、黒をベースに無数の黄色い点模様のある宇宙のような物体があった。
 セピアはきれいな指先で球の上半分をスライドさせる。
 継ぎ目はまったく分からなかったが、軽く上に押し上げられただけで球形が崩れる。
 すると上蓋の下はアナログの時計になっていて、しっかりと時間を刻んでいた。

 ―6時30分。

 いつもなら寝ている時間だ。
 セピアはそう思ってもう一度眠りにつこうとする。

 “へろーん……”
 「……おっと!」

 眠りに落ちる寸前の音で、なぜこんな早い時間に目覚ましをセットしたのかを思い出したセピアは跳ね起きた。

 「へろーん」

 セピアは目覚まし時計に向かって、先ほどまで繰り返されていた音と同じ言葉を返した。
 目覚まし時計の音が、それ以来ぴたりとやむ。
 この目覚まし時計は持ち主の声と言葉を認識して、アラームを解除するようになっているのだ。ちなみに、上蓋をスライドしていなければ言葉を受け付けない。
 セピアはカーテンが開いている事も気にせずクマとクラゲという謎の取り合わせをした絵柄のパジャマを脱ぎすて、制服に着替える。
 パジャマを洗濯かごに入れに行く途中、小さな鍋に水とタマゴを入れて火にかける。
 洗面所に入って軽く髪をセットして歯ブラシをくわえながら、鏡の自分に笑いかける。

 「……よし」

 一人頷いたセピアは、歯ブラシをくわえたまま台所へ舞い戻った。
 空いている方のガスコンロにフライパンを置く。
 歯磨きを終えるとセピアはパソコンの電源を入れるだけ入れて、弁当作りを始めた。




 セピアの登校は早い。
 教室一番乗りの日も珍しくないほどの早さだ。
 そんなセピアに負けず劣らず早いのがサキだ。
 セピアが教室に入っると、一番前の席で勉強しているサキの姿があった。

 「へろーん」

 サキがノートから目を上げて、言葉の発信源のほうを向く。

 「……**、それ反応に困る」

 サキは自分の席に向かうセピアの背中に、おはよ、と付け足す。

 「そうそう、サキ、作ってきたよ!」

 自分の席にかばんを下ろしたセピアが、手提げかばんを高らかに掲げてサキに示す。

 「ありがと。昼まで楽しみにしてるよ」

 「それでねサキ……代わりと言っちゃなんなんだけど……」

 微笑みながら続きを促すサキに、セピアは言いにくそうに口を開く。

 「数学の宿題、写させてくれない?」

 ねだるように頼むセピアに、サキはため息混じりにこう言った。

 「……残念……今やってるとこ」

 二人は一限目の数学を前に、急いで問題を解き始めた。




 いつもと変わらぬ授業が、いつもと変わらず順調に進んで、いつもと変わらぬ昼休みが来る。

 「サキ、屋上行こう!」

 サキはセピアの突然の提案に面食らったようで、返事に遅れる。

 「……屋上って……閉まってるんじゃ」

 戸惑うサキの手を引いて、もう既にセピアは行く気満々だ。

 「開いてるかもしれないじゃん、さ、いこいこ」

 開いてるかもしれない、ではなくて開いている事をセピアは知っている。
 なぜなら三限目終了後の休憩時間に、閉まっていた鍵をハリガネで外した張本人がセピアなのだから。

 「うーん……」

 サキは屋上へ続く階段の前に置かれた机のバリケードと立ち入り禁止の札を思い出しながらも、セピアに引かれるまま屋上へと向かった。




 サキはささやかな感動を覚えた。
 学校の屋上は思ったよりも高く街を一望できる。
 良く晴れた空を泳ぐ一片の雲がアクセントとなり、空という絶対不可侵の空間を彩る。
 街路樹はざわめき、自動車が流れ、人がうごめく。
 そんな様子を一望できる数少ない場所がここ、屋上。

 「……**はよくここに?」

 サキは校庭を見渡せる位置に腰を下ろすセピアの後ろ姿に問いかける。
 セピアは隣に座るよう促しながら、サキの言葉の返事を探す。

 「うーん……たまに」

 「私の知らない間に」

 サキの言葉に刺はなく、からかっているような響きが強い。

 「あはは、ごめんごめん」

 「……それで、どんな弁当よ」

 サキは空に向けていた目をセピアに戻して、口調を変えて訊ねる。
 セピアはよくぞ聞いてくれました、とばかりに手提げ袋を腰に据えて、まるで抜刀する剣豪のように二本のそれを抜き出した。

 「じゃーん! おーべーんーとー!」

 耳の無いネコ型ロボットが道具を出すときのようなイントネーションとその出された『お弁当』に、サキは返す言葉を失った。

 「ハイ、サキの分」

 サキは固まっている。

 「おーい、サキー」

 『サキの分』を目の前で左右に振る。
 するとサキの手がばしっとセピアの手首をとらえて、左右に振るのを止めさせた。

 「**、ちょいまち」

 「なに? トイレ? 行ってらっしゃい」
 「いやそうじゃなくて」

 じゃあなによ、とセピアの顔が問いかけている。

 「それのどこが、弁当なのよ」

 サキはセピアの両手に一本ずつあるそれを見ながらそう言った。
 コッペパンの真ん中に切れ目を入れて、やきそばを入れたパン。
 一言で言えば、やきそばパン。

 「どこが弁当じゃないのよ、今日六時半に起きて作った、正真正銘のお手製なんだから!」

 セピアはサキの反応に驚いたが、すぐに異を唱えた。

 「いや……まぁ……いいけどさ」

 セピアの勢いに負けて、サキは反論を諦める。
 弁当の定義なんて、サキには考えるのもばからしい、どうでもいい話だった。
 セピアもそんなサキに満足したのか、ふくらませた頬をすぐ笑顔にゆるませた。

 「はいどおぞ」

 今度はサキもやきそばパンを受け取る。
 よく見ればパンと焼きそばの間にレタスが挟まれ、やきそばの中にはタマネギや少量の肉やニンジンも見受けられる。市販の物とは明らかに違う、手の込んだ作りだ。

 「……あんた、料理うまいんだ」

 「料理ってほどじゃないけど……具が多くても、絶対こぼれたりしない比率を見つけるまでには時間かかったよ」

 サキははにかむセピアをみて、つられて笑った。
 視線を手に持ったやきそばパンに戻すと、四限の間なにも納めなかったサキのお腹がきゅるると鳴った。

 「……えへへ」

 照れ笑いをするサキに、セピアはさあどうぞ、と促す。

 「んじゃ、いただきまーす……っと」

 ラップをはがして、一口かぶりつく。
 ほどよく火の通ったやきそば、甘いタマネギ、シャキッと歯ごたえの良いレタス、ふわふわのパン……。
 そんなすべてが調和して、一つのやきそばパンが確立していた。

 「**、やるね」

 サキの食べる様子を横から見つめていたセピアの表情が、すうっと軟らかくなった。

 「えへへ、おいしいでしょ」

 サキは返事をする代わりに、二口目をかぶりついた。
 セピアもラップをはがして、両手で持ったやきそばパンにかぶりついた。

 そんな二人の昼食に、飲み物はまったく必要なかった。
 風はどこまでも優しく、空はどこまでも青く二人を包んでいた。


―後書き

セピアのお話でした。
ここぞとばかりに頂いたネタを使わせてもらったのですが、
如何でしたでしょうか、葉月さん(笑)。

セピアの本名は伏せ字になっていますが、
それは本編の立場上明かせないから施した処置です。
決して本名を考えるのが面倒くさかったわけではありませんよ、きっと。


2003年8月27日

去年に一度アップしたものと同じです。
装飾は変えましたが、本文と後書きの内容は全く変更しておりません。



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