己がみちを

勝負


 携帯電話の普及と共に、着実に姿を消しつつある公衆電話。
 絶滅危惧種に指定される日もそう遠くはなさそうな、広告が一面に張り巡らされた個室。
 そんな寂寥感漂う空間に、右手に緑の受話器、左手に十円玉を数枚握りしめた少年がいる。
 公衆電話の上には、手あかで汚れ、よれよれになった名刺が一枚。
 それに目を落としながら、少年は震える指先でボタンを押していく。
 全てのボタンを押し終わると、ぷるるるるーという間抜けな音が少年の耳を打つ。
 すると突然、ぷっ、と、回線が繋がる音がする。
 相手が応答しようと一息吸い込むのが伝わる。
 しかし少年は相手に話す間を与えず、先手必勝とばかりに一言をはき出した。
「詩宮、やろうぜ・・・!」
 その言葉に対して、受話器の向こう側から息を飲む気配が返ってくる。
「てめぇのいけすかねぇ態度も今日までだ・・・ん?・・・おい、詩宮?」
 受話器の向こうに違和感を感じた少年は、訝しげに問う。
 その問いに答えたのは、およそ聞き覚えのない女性の声だった。
「あの、こちら詩宮株式会社ですが、・・・どちら様でしょうか?」
 受話器を持つ少年の手の震えがぴたりと止まる。彼の顔面から血の気がさっと引く。
「あ、あれ・・・そうか・・・あのじゃあ、しゃ、社長を呼んでくれませんか?」
 喋り慣れない敬語で女性社員に問い合わせるが、不審に思われていることは明らかだ。
「あの、どちら様でしょうか?」
「あ、はいあの、昂坂美鶴、です」
 もぞもぞとつぶやく美鶴に、女性は「少々お待ちください」と告げる。
 どこかで聞いたことのある保留音楽を耳に、美鶴は顔を真っ赤にした。



「まったくあなたという人は、常識がないというか、想像力が足りないというか・・・」
「・・・うるせぇ!」
 真夜中の公園で二人が向き合っている。
 コオロギの鳴き声も二人に遠慮してかぴたりと止み、公園の空気は完全に二人が支配していた。
 もちろん公園内には二人以外の人間は見あたらない。
 が、二人は彼らを見つめる人間が近くにいることを知っている。
 導き手は常に彼らと共にあるのだ。
「三室君が眉をひそめていましたよ。
 『留守ということにしましょうか?』と気を遣われたのには、さすがの私も苦笑しました」
「てめぇが最初から出れば何も問題なかっただろうが!」
「私は『てめぇ』ではないと前にも言ったはずですが・・・
 確かに、社にではなく私の携帯電話にかけるよう、最初から言っておくべきでした」
「まったくだ! ・・・って、俺を馬鹿にしてるのか!?」
「おお、気づきましたか、素晴らしい」
「・・・ちっ」
 まるで親しい友同士かのように屈託なく話す二人だが、彼らの間にあるのはそんな生ぬるいものではない。
 倒すか、倒されるか。
 彼らの間を繋ぐのはそれしかない。
 一見無防備に突っ立っているかに見える美鶴は、実は常に彼我の距離を一定に保っている。
 斜めに構える詩宮は、身体をふらりふらりと左右に揺らし、どの角度からの攻撃にも対応すべく備えている。
 その詩宮が、美鶴を眼鏡越しに眺めやって、おもむろに口を開く。
「どうやら、それなりに強くなったようですね」
「ああ。だがてめぇも前より一段と強くなったみたいだな」
「人間は日々変化するものです。もっとも、良い変化ばかりとは限りませんよ」
「良いとか悪いとか、くそくらえだ」
「ほう、あなたの口からそんな意見が聞けるとは」
「良いとか悪いとか、そんなもん気にしていたってどうにもなんねぇのさ」
「論理性が皆無ですね。賛同しかねます」
「ああ、てめぇに分かって欲しいなんて思ってないさ」
 風が公園の木立を揺らす。
 枝から離れた一枚の枯れ葉が地面に落ちると同時に、美鶴はポケットから手を抜きだした。
 詩宮が眼鏡の中心に中指をかけてそれを押し上げる。彼の眼光が鋭く光る。
 そして彼は眼鏡から離した手を、流れるような動作で前方に突き出した。
 突如眼前に現れた美鶴の左ストレートをその手でがっしり受け止め、そのまま左足で回し蹴り。
 対する美鶴はそれをジャンプでかわし、その勢いのままに詩宮の側頭部めがけて蹴りを放つ。
 詩宮はそれを左手でガード。
 勢いを止められた美鶴が着地する前に、ガードしていた左手をするすると伸ばし、彼の顔面に襲いかかる。
 が、美鶴は詩宮のその動きを完全に見切っていた。
 身をかがめることで詩宮の左拳をかわす。
 しゃがんだ姿勢から全身のバネを生かして、温存していた右拳で詩宮の腹部を抉る。
「く・・・・・・」
 詩宮は咄嗟に、つかみ続けていた美鶴の左手を離し後方に跳ぶ。
 美鶴はそれを許さない。大股の一歩で間合いを詰め直し、右拳の狙いを詩宮の顔面に定める。
 そしてその拳は、詩宮の眼鏡を吹き飛ばした。
「・・・な・・・」
 最初の一撃から今に至るまで、まさに一瞬の出来事。
 その一瞬で、両者が互いに傷を与え合っていた。
「なんでだ・・・?」
 そう呟いたのは、終始優勢を保ち、詩宮の腹と顔面に一発ずつ叩き込んだ美鶴だった。
 美鶴は腹を抱えて後退する。無論、笑いをこらえての行動ではない。
「ふぅ・・・これはなかなか・・・」
 血液と共に微笑を口元にたたえる詩宮は、拾い上げた眼鏡をそっとベンチに置いた。
「てめぇ・・・何しやがった?」
「おや、見えなかったのですか? あなたのお腹をこの足で蹴っただけですよ」
 それが美鶴の腹部を襲う痛みの正体だった。
「てめ・・・くそ・・・」
「やれやれ、一度予想外のことが起こるともう逃げ腰ですか?」
「そんなんじゃねぇ!」
「では、再開しましょう」
 言葉と共に繰り出される顔面を狙った拳を、美鶴はかろうじて受け流す。
 だがそれはフェイントだ。必殺の蹴りが美鶴の肩を打ち据える。
「ぐが・・・!」
 痛みをこらえながら美鶴は一歩を踏み出してボディーブローを叩き込む。
 しかし詩宮はまるで痛みを感じていないかのように、
 美鶴が突進してきた状況を逆に利用して容赦ない膝蹴りを彼の顔面に浴びせる。
 美鶴の鼻から血がほとばしる。たったの一撃で意識がぼんやりしてくる。
 そして何より、笑えてくる。
「詩宮・・・やっぱり強いな・・・!」
「あくまであなたと比較する限りは、そうだと言えそうですね」
 手の甲で口元の血をぬぐいながら、詩宮は事も無げに返す。
「へ・・・言ってくれるぜ」
「ですがこのまま私が勝ったとしても、あなたは私を数発殴れたことに自信を持つかも知れませんね・・・」
 言いながら、詩宮は公園のはるか後方に目をやった。
 そこには詩宮の導き手たる夜鳥がいるはずだった。
「ふむ、承諾が得られました。では、これからあなたには私との力の差を思い知って頂きましょう」
 夜鳥から何らかの合図があったのか、詩宮はスーツの胸ポケットに手を忍ばせる。
 そこから出てきた手には、刃渡り6センチほどのナイフが握られていた。
 それを見た美鶴は驚きの声を上げる。
「おい、てめぇ、武器なんか使う気か!?」
「ならば私はあなたに問おう。あなたは武器を使わずにこの戦いを続ける気か? とね」
「くそ・・・ふざけやがって」
「その言葉、そっくりそのままあなたに返しましょう」
「そんなセコイ物持ってるからっていい気になるんじゃねぇっ!」
 言葉と同時に飛びかかる美鶴。
 一見感情にまかせた攻撃に見えるが、彼とてナイフの危険性くらいは理解している。
 ナイフを握りしめた右手を常に視界に納めたまま、美鶴は顎を狙った一撃を繰り出す。
 だが、その拳が詩宮を打ち据えることは永久になかった。
 戦闘で暖まった美鶴の身体から、さぁっと血の気が引いていく。
「な・・・・・・」
 美鶴の視界が、だんだん暗くなっていく。
「これで少しは分かったでしょう」
「く・・・・・・」
「これから先は、剣や槍を扱う相手ともやり合うことになるのです。拳一つでは限界がある」
 詩宮の冷ややかな目を、顔面蒼白になりながらも睨み返す美鶴。
「だからあなたも、早く自分にあった武器を見つけることですね。全てはそこから始まります」
「・・・・・・だね」
「愚かなことを口にするのはおやめなさい」
「嫌だ・・・ね・・・俺の武器は、拳一つ。それだけで、充分」
「そういうことは、勝者になってから言うことです」
「ああ・・・だから、勝者になってやるさ・・・」
 腹部の傷口からあふれ出る血液は留まるところを知らない。
 瞼が落ちかけ、意識は朦朧とする。そんな中でも、美鶴は詩宮から目を離さない。
「本当に、馬鹿な男だ」
 ため息混じりに呟いた詩宮だったが、その顔には微かな笑みが浮いていた。
「しかし、私はあなたのような馬鹿は嫌いじゃない」
「うっ・・・・・・」
 血が抜けて感覚がなくなってきた身体を支えきれず、美鶴はついに前のめりに倒れ伏した。
 彼のまわりの血だまりは、既にちょっとした水たまりの規模になりつつある。
 詩宮はそんな彼を一瞥すると、ナイフの血を真っ白なハンカチで拭って、公園の出口へと足を向ける。
「では、また会いましょう」
 美鶴の意識が途切れるか、途切れないか。そんな最後の一瞬に、詩宮はそう囁いた。
 詩宮が投げたハンカチが、血だまりに落ちて深紅に染まっていく。
 

 


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