「成功がなにかは知らないけどよ」
黙って飯を食っていた吉田が、唐突に話しかけてきた。
180円のかけうどんを口に頬張りながらも、吉田の方に目を向ける。
吉田は吉田で、260円のカレーをかきこんでいる。
目をかけうどんに戻す。
「成功したら、終わりだよな」
再び箸を止めて、吉田を見る。
今度は吉田もスプーンを止めて、頬杖をついてコップを見るともなしに眺めている。
無精髭の生えた吉田の顔には疲れの色が濃く、話しかけがたい雰囲気がある。
「だってそうだろ? 成功したら、次はなにするんだよ?」
俺が黙っていると、吉田が勝手に語りかけてくる。
俺は再び箸を動かしはじめる。
吉田は俺に答えを求めているのではない。ただ、聞いて欲しいだけなのだ。
「俺に言わせれば、成功なんてしない方が幸せだね」
そこまで言って、吉田も再びスプーンを手に取る。
男二人が黙々とがっつく。
制限時間付きの、沈黙。
俺が椀を持ち上げて飲み干すと、ちょうど吉田のカレーもなくなっていた。
無言のまま二人して立ち上がり、トレイを返しに向かう。
食堂のおばちゃんにご馳走さんを言って外に出る。
真っ青な空。蒸すような空気。
「だりぃ」
吉田の口からそんなどうしようもない言葉が漏れて、俺は小さくため息をつく。
「負けんなよ」
俺の言葉に、しかし吉田の反応はない。
「…や、別に負けてもいいけど」
自分の発言に嫌気がさす。
俺たちは一見目的もなく歩いているように思われるかも知れない。
だが、実ははっきりとした目的地がある。
それは、周りのみんなもそうかも知れない。
や、実際どうかは知らんが。
俺たちは、暑さを避けるように建物の中に入る。
俺がポケットに手を突っ込んで鍵を引っ張り出す。
なんの飾り気もない扉を開けて、中に入る。
薄暗い部屋に電気をつける。しっとりとした空気。
「今度は負けねぇ」
吉田が口を開いた。俺は吉田に背中を向けて、気づかれないように苦笑した。
部屋の端から将棋盤を持ってくる。軽くホコリを払って、無言で駒を並べる。
先手は吉田。俺が後手。
無言で頭を下げあった後、吉田がすぐに一手目を打つ。
いつも通り、角筋を通すところから入ってくる。
俺の一手目も、いつもと同じ。
端から見たら静かな二人。
だが、盤上はまさに戦場。
一手一手が激しい変化を生み、お互いを牽制し合う。
いつの間にか吉田がタバコをくわえている。俺は立ち上がって窓を開ける。
イスに戻って盤面を眺める。
どうも良くない。現状打破にはたくさんの犠牲が必要だ。
損得勘定がうまくいかない。頭をかく。
吉田の方を見る。優雅に煙を吐いている。さっきの泣き言が嘘のようだ。
俺は足を組み直す。
思い切って飛車を振った。迷いのない吉田の手がすぐさま伸びる―
「…ありません」
俺の口からその言葉が漏れた。惨敗だ。
「んじゃ、次いくか」
吉田が駒を並べ始める。俺も盤上の駒を指で動かす。
「知ってるか? 吉田」
「あ?」
吉田が目だけを上げる。深く、力強い目。
「なんでも、学ぶのは負けてるときなんだぜ?」
吉田は軽く笑っただけで何も言わない。言う必要がないのだ。
お互いに、軽く頭を下げる。
今度は俺が先手。吉田が後手。
俺は、持ち上げた歩を力一杯前へ叩きつけた。
部屋の中に、心地よい音が響き渡る。
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