天気は悪くなる一方で、屋根を叩く雨音はさらに大きくなる。
そんな中、ヒデキの表情も強張り身体もかすかに震えている。
「な、何時ぐらいだい?」
激しい動揺。先ほどのタカオの言葉がただ単にカマをかけただけだったとしても、態度が、何か後ろめたいことがあると表している。
言葉を聞くまでもない。タカオはやれやれといった風にため息をついた。
「8時くらい。見た感じ君は塾帰りみたいだったけど」
「そう、そうだよ。普通に予備校帰りだった。なんでそんなことを聞くんだ、林?」
不安を隠すためか表情だけは笑顔を作る。哀れで仕方がない。すぐにそれを崩されるともしらずに平静を保とうとする。優等生といっても所詮は高校生、この程度で当然か。
普段ならこんなことなど考えない。……状況が違う。
だから―
「いや、別に。ただ、体力アップのジョギングしてたら予備校とは反対方向の道端で人の家を覗いていた君を見かけただけだから」
さらりと。あっさりと。
軽い口調で。
クラスメイトの心にナイフを突き立てる。
瞬時に笑顔が壊れる。
「俺を強請るつもりか……?」
「そんなことしても仕方がない。重要なのは知ってしまったか否か」
タカオの目は今までのクラスメイトの目には見えず、今のヒデキの心境は蛇に睨まれた蛙状態。
「な、何を……?」

端から見れば下校前に会話しているクラスメイト。その実、近くに行くと異様な雰囲気だ。
一大決心して礼を言うつもりで近づいたサヤカはその異様な雰囲気に声をかけるのを躊躇した。

「ただ『ついつい覗いてしまった』だけならさして問題はない。ねぇ、山村君。君は溶けた―」
タカオは言葉を切った。
「しっかし、今日の数学全然解けなかったぜ。はぁ、赤点で追試だ〜」
「お前な、もう少し勉強しろっての。三宅センセにも言われてたろ」
学生がタカオとヒデキの横を通り過ぎていく。
人の来ない場所を選んだつもりだったがまだ奥に自転車が数台止めてあることに気づく。
「……さ、俺たちも帰ろう」
タカオは何もなかったかのように自分の自転車に向かう。
「ま、待てよ!」
「呼び止めない方が懸命だとおもうんだけど?」
声をかけたはいいが背筋に冷たいものが走る。
「……いや、いい」
目をそらす。
「さすが優等生。けれど答えは聞かなきゃいけない。20時に駅前ロータリーで」
タカオは自分の自転車にまたがった。
「遅れないように」
最後に釘をさすとそのまま走り去っていく。

「……まるで別人じゃないか……」
もともと仲は良かった。だから感じた違和感。
普段のタカオからは感じることのない雰囲気。
「……行かなきゃまずいよな」
思わず時計を見る。無骨なデジタル時計の文字盤はまだ13:00を示していた。

「まるで林君じゃないみたい……」
奥に自転車を止めていた学生が通りかかった時点でサヤカは木の陰に隠れていた。
『まるで別人』。
近くにいたヒデキと自転車に乗ったタカオの割と近くにいたサヤカ。二人共通の印象だった。
「夜8時に駅前のロータリーね……せっかく決心したんだしね」
ただ、消しゴムの礼を言いたいだけだが彼女にとっては一大決心だ。
サヤカもふと時計を見る。可愛いアナログ時計の針は午後1時をさしていた。

彼女は気づかない。
消しゴムのこと思っていたのに。本人のそばにいたのに。決心まで固めたのに。
昨夜はあれほど溶けてしまいたいとまで思った気持ちが今はまったく感じなかったということに。

時間は7時半。
母親は仕事からまだ帰ってきていない。
父親は単身赴任であり、正直サヤカ自身、顔もうる覚えだ。
一人姉がいるがすでに独り立ちして家庭を持っている。
サヤカは人気のない家のリビングで一人夕食を取りながらテレビを見ていた。
メニューは魚の煮付けにご飯と味噌汁。全て手作り。
サヤカは生活の時間帯が違いから家族とはめったに会わない。
そのせいか、大きな一戸建ての家は時に広すぎる。
『次のニュースです。昨夜、M市の路上で摩訶不思議な遺体が発見されました』
「近くだわ……隣町じゃない。この辺もそんな物騒に……」
食事の手を止め、テレビの画面を見る。
『発見された遺体は体中の水分を全て失っており死亡推定時刻ははっきりしないうえ身元を証明する物も発見できておらず、捜査は難航しているもようです。6年前にも似たような事件が起きており警察はその線も視野に入れているとのことです。では次のニュースです。今日の正午頃、国会議事堂前に年金改正法案反対の市民グループが―』
途中からテレビの音が聞こえなくなった。水分をなくした死体。6年前の事件。
頭の中を何かがよぎる。
「あ、あれ? なんだろう……何かを忘れてる?」
混乱する。わけが分からなくなり、呼吸も乱れる。
と、リビングに目覚まし時計のアラームが鳴り響く。出かける時間にセットしておいたものだ。それでサヤカは正気に戻る。
「時間だ……行かなきゃ」

日常と非日常。その差は紙一重。
サヤカはそれに気づかずロータリーへ向かう。



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