ロータリーには会社帰りのサラリーマンやこれから夜の街に赴く若者の姿に溢れている。そんな中落ち着かない様子の中学三年生が一人。山村ヒデキだ。 ヒデキは腕時計に目を落とす。その瞬間に数字が変化して八時を刻む。 待ち合わせの時間だ。 溜め息と共に目線を前に戻したヒデキは、息を飲んだ。通りの向こう側に傘を差したタカオを見たのだ。車の行き来が途絶えたのを確認して、タカオはヒデキの方へやって来た。 「ちゃんと来たね」 「ああ」 微笑を浮かべるタカオを前にして、ヒデキは覚悟を決めた。しかしヒデキの予想とは裏腹に、タカオは駅の中へ足を進める。 「じゃあ、行こうか」 「え?」 ここで話の決着がつくと思っていたヒデキは驚きの声を上げる。が、すぐさま状況に対応してヒデキに追いつき、切符売り場に二人して並ぶ。 「140円の切符ね」 140円の切符では隣の駅以外には行けない。ヒデキは首を傾げながらポケットをまさぐった。 「……っと、悪い」 ヒデキは済まなそうに頭を掻く。 「財布持ってきてねぇや。貸してくれ」 そんなヒデキに微笑を返し、タカオは140円の切符を2枚購入した。 駅の人混みに紛れて二人の様子を窺っていたサヤカは狼狽した。 (私、なにやってるんだろう……) 二人のただならぬ雰囲気に気圧されて、またも消しゴムを返しそびれてしまった。機会を逸し続けるサヤカだが、しかし今日中に返すという決意は揺るがない。 切符を買って駅構内に入ったサヤカの元に程なく電車がやって来た。二人を見失わないように隣の車両に乗り込む。雨とガラス越しに見る二人は、吊革を掴んだまま黙り込んでいた。 電車を降りたタカオは、人気の少ない暗がりの道を少し歩いて立ち止まった。傘を差しているにもかかわらず、ヒデキの靴は徐々に水に侵されていく。 「ニュース、見た?」 タカオの唐突な言葉に、ヒデキは眉を顰めた。 「ニュース?」 その反応に、タカオはヒデキがニュースを見ていないことを察する。 「昨日ここで、人が死んだんだ」 「……ニュースどころじゃなかったし」 本題から離れているとしか思えない話題にヒデキは苛立ちを見せる。しかしタカオにその話題をやめる気配はない。 「死んでいたのは体重四十二キロの中学二年生。その子がどういう死に方をしたか聞けば、君もこの話題を軽視できなくなる」 タカオの口ぶりにヒデキが身構える。もっともいくら秀才のヒデキが身構えたところでタカオの発言を予測することは不可能だったが。ヒデキを静かに見つめながら、タカオはゆっくりと言葉を紡ぐ。 「その子はね、体中の水分を失って死んでいたんだ。ちょうどミイラのようになっていてね」 その言葉を飲み込めずにいるヒデキに、タカオはさらに追い打ちをかける。 「その子の死体が発見されたのが昨日の午後八時過ぎ。これは君が何かを見た時間と重なるものがあるんじゃないかな?」 ヒデキの顔にさっと青みが射す。 「まさか」 「溶けた後に元に戻るには、人間の持つ水分が要るんだよ」 その一言にヒデキが一歩後ずさる。彼の様子を認めたタカオは、静かに息を一つ吐く。 「やっぱり見てしまったんだね」 「なぜお前が知ってる?」 動揺しながらも疑問を投げかけるヒデキに驚嘆しつつ、タカオは応える。 「彼女は誰かが守らなきゃいけない存在でしょ。その誰かが僕だというだけの話さ」 「お前はいつも清水さんを監視してるのか?」 その問いには答えず、タカオは目を瞑って降り注ぐ雨が奏でる音に耳を傾ける。 「山村君、君の選択肢は二つだ」 目を閉じたまま、タカオは囀るように言葉を投げかける。タカオは続きを口にしようとするが、ヒデキが先に言葉を挟む。 「俺がもし誰かに喋ったら?」 タカオはなおも目を閉じたままだが、口元が引き締まるのをヒデキは見逃さなかった。やがてタカオの口が開き、耳をすませなければ聞き取れないほどの小声が漏れた。 「君が喋ることは、絶対にないよ」 その言葉の意味をヒデキは噛みしめた。つまりヒデキがサヤカの体質のことを誰かに喋ろうとしたなら、タカオはヒデキを消すことも厭わないということなのだろう。 だがヒデキは落ち着いていた。なぜなら彼は、タカオが自分に危害を加えることはないと知っていたから。ヒデキはサヤカの体質のことを誰にも話すつもりはなかったから。 「俺は清水のことが好きだ」 その言葉に、タカオは雨音に合わせて揺らしていた身体を止める。 タカオは一呼吸の間をおいて、目を閉じたまま言葉を返す。 「僕もだよ」 濡れた靴に何かがぶつかった。 それはわずかな感触しか生まなかったが、ヒデキは敏感にそれを感じ取った。 足元に転がるそれは白い消しゴムだった。 ヒデキは背後を振り返る。 そこには口に手を当てて立ち竦む、清水サヤカの姿があった。 瞬く間にタカオの顔を困惑が支配する。 冷徹なタカオの仮面は、彼女の出現で音もなく崩れ去った。 |