最終回 それが起きた時、一番冷静だったのはヒデキだった。 ああ、全て本当のことだったのかと受け入れる余裕があった。 が、周りの研究者達も少しは動揺している。 「まいったな、勝手に使えるモルモットが居なくなったな」 それは人が一人死んだことに対する動揺ではなかった。 ヒデキはそのことに驚く。 「ちょっと待ってくれよ! 林が消えたのにそんなことしか思わないのか!」 「林? ああ、あいつの名前だったな。それは偽名さ。元々、我々の研究対象になると決まった時彼の戸籍は消されている。『林タカオ』は我々が便宜上与えた名前だ。あれは人ではないんだ。悲しむ必要性はない」 「そんな……どう見ても人間じゃないか!」 「そうだな。林君にもそういってあった。DNAは人と同じだとね。だが、実際は違う。水に溶ける彼は塩基配列が微妙に異なる。一部の者は人が進化する証だというがそうは思えない。あれは人類滅亡の引き金だ」 「滅亡の引き金?」 「彼らがどんどん増えて、自分の体質の副作用を知らずに溶けたら? 彼はどれくらいいるか不明といっていたがすでに我々が確認しているだけでも世界中で約1億。しかも毎年増加傾向にある」 世界人口の60分の一。だが、彼らが1回ずつ水に溶けて元に戻ったなら同じ数の命が失われる。数字にしてみると恐ろしい。 「もう十分だろう。家まで送らせるから帰れ。中学生の君が知りすぎることじゃない」 「……次の研究対象は清水さんですか?」 「もちろんだ。あいにく日本には後3人しかいなくてね。手近な彼女が妥当だ」 研究員が指を鳴らす。 「お客様がお帰りだ。家までお返ししろ」 黒服が現れて抵抗する間もなくヒデキを小脇に抱える。体格差がありすぎて抵抗も無駄だ。 「清水さんをどうするつもりだ!」 「とりあえず、正面から我々の研究対象になるよう説得する。ダメなら拉致する。あれの家族は我々の配下だから造作もない」 さらりと恐ろしいことを言う。 「そんなこと―!」 白い布が押し当てられて一瞬で視界が真っ白になった。 「まったく。そんな事させないと言いたかったのだろうが君一人でどうするつもりだというのだ? ……連れて行け」 気づいて見れば見慣れた天井が見える。何のことはない自室の天井だ。 しばらく記憶の整理をしてすぐに飛び起きる。いつもの時計は23時を示している。 研究所に入ったのが9時頃だったので1時間ちょっと寝ていたことになる。ヒデキは薬の影響でぼ〜っとする頭を押さえリビングに降りる。 「あら、帰ったの?」 リビングでは両親がテレビを見ていた。 「夜遅くでかけるのもいいけど最近物騒だから気をつけなさいよ? ミイラの次は山の上での水死体だって。しかも、すぐそこよ」 「まさか」 テレビの画面が移しているのはついさっきまでいたラボのある神社。被害者として映っているのはラボで見た研究員だ。 「出かけてくる!」 「こら! 何時だと思ってるの!」 母親の制止も聞かずヒデキは家を飛び出した。向かう先は神社だ。 自転車で全速力。ヒデキの中にある小さな想像がさらに気持ちをあせらせる。 もし、想像通りなら自分には何が出来るのかと悩みつつ。 神社にはすでに野次馬が集まっていた。警察と野次馬のやり取りを見つめる1対の瞳。それは参道から離れた木立の中にあった。 『ほら、言ったとおりだ。彼は頭がいいから』 「……ちゃんと言わなきゃダメよね?」 『その方が彼のためだ。それに何が起きたのかも彼には知る義務がある』 「分かったわ、林君」 「……よかった。いない」 それが確認できればよかった。帰宅しようと参道のほうを振り返る。 思わず動きが止まった。見間違えるはずもない。木立に消えていく後姿は彼女のものだ。 考えるより先に身体は後を追う。 「清水さん?」 声をかけたはいいが雰囲気の違いに戸惑う。目の前には一人しかいないのに二人いるような不思議な感覚。 「ゴメンね、山村君。私、彼方の気持ちには応えられないの」 「え……」 告白も何もしていないのに。知っているのはタカオ一人のはずなのに。 ただの想像だった。人に話しても笑われるであろう事。 溶けるもの同士だとどうなるのか。あの時、タカオは彼女の一部になりつつある水分に溶け込んだのではないか。 「彼から聞いたから。私が彼に惹かれたのは同種だったから。溶け合いたかったから。人である彼方の気持ちには応えられない。今はいい気分よ。疎ましかった体質が自由になったもの。大事なのは認識すること。彼が教えてくれた。思い込めば……ほら」 サヤカは木立の中で豊富にある水蒸気に溶けて消えた。 『このまま人の中に入って集まれば……簡単だったわ』 そんな声が聞こえた気がした。背中につめたいものが走る。 『私達は二人で気ままに生きるから。じゃあね、さよなら』 気配が去ってもなお、ヒデキは汗びっしょりで立ち尽くした。 ―私達は自由。好きな事をして好きなように生きる。水は束縛されない。 ―だからずっと一緒。 |