センと呼ばれた性別不詳は、ゆったりとした足取りでギースに歩み寄り、ギースの眼前で足を止めた。
線の細い顔立ち、方の辺りで切り揃えられたストレートの黒髪、うっすらと開かれたナチュラルブルーの瞳、口元には先ほどから穏やかな微笑みが添えられていた。
例えフードのみならず、衣類という薄壁がある限り、誰も“彼”の性別を特定することはできないだろう。
ただ、彼は『蓬莱』としてそこに在る・・・、そんな超俗的雰囲気を、センと呼ばれた人物は携えていた。

「こんばんは、ギース君。 お久しぶりですね」
「あ、アンタ・・・なんでこんなところに・・・?」
「『研究』とやらに興味がありましてね。 その研究所がフルルさんを必要としておりましたので、私も参加することにしたのですよ」
「チッ、アンタは・・・『蓬莱』は結局何がしたいんだ!!?」
「『蓬莱』の意志は常に不変ですよ。 残念ながら今の貴方に理解はできないでしょうね」

センは一片の表情も変えず、ギースの疑問に対し、まるで当然の当たり前のことを再確認させるかのように返していった。
明らかに狼狽の色が伺えるギースの声も、センの諭すような透き通った声の前に出口を失い、消え入るしかなかった。
そもそも動きを封じられ、且つフルルも奪われたギースに、言い返せる言葉など何もなかった。

「強靭な肉体に溢れかえる魔力、まぁちょっとやそっとじゃ壊れんだろう。 研究所の連中も、形振り構わずに欲しがるわけだ」

微笑みを浮かべ佇むセンの後ろで、アズンは手に握った封水晶を、おもちゃを弄ぶかのように、真上に放り投げていた。
封水晶の中で、ひたすら壁を叩いていたフルルも今は、放り投げられた反動で、目を回して倒れている。
それは、ギースの精神を逆なでするには充分すぎる状況だった。
だが、文字通り手も足も出ないギースには、外に出せない憤りとして、彼の中に渦巻いていた。
そんな彼の心境を知ってか知らずか、視線を封水晶からギースに向け、続けた。

「ギース、裁きなんて正義と同じだ。 殺しを正当化するための大義名分に過ぎないんだよ。 美味い飯を食いたいから殺す、足を伸ばして暮らしたいから殺す、邪魔だから殺す・・・・・・結局、その後ろに小さくても充足があるから殺すんだ。 人間の作り出した言葉の矛盾に惑わされて、殺すことに少しでも疑問を感じたんなら、ハンターなんて止めちまうんだな! ・・・いや、その必要もないか」

自然と語調が強くなっていた。
次々と吐き出される言葉に、ギースはフルルとの会話を思い出していた。
『それを罪として裁く者はいない』
『私は大丈夫です、だから・・・・・・』
映し石越しに聞かれていたのだろう。
ふとアズンの手の中にある封水晶、その中で眠る銀髪の少女が目に入った。
『お母さんを見つけるまで、よろしくおねがいします!』
フルルの真剣な表情がフラッシュバックする。
・・・想いを裏切ることはできない。
ギースは奥歯を強く噛み締め、視線をアズンに戻した。

「『槍神』、悪いけどお喋りはそこまでにしてもらえるかしら。 このコを抑えるのも、結構疲れるのよ?」

二人の間に生じた異質な空間を裂いたのは、ギースを背後から緩やかに抱いていた『抱縛』のモリガンだった。
優しく抱擁しただけで対象の行動を完全に縛する彼女の能力『抱縛』は、その特質性から、ギースの魔法と同様に精神力をすり減らせてしまう。
現状で時間をかけることはそのまま、彼女に掛かる負担が大きくなることを意味していた。

「そうだな、確実に遂行できるうちに終わらせる・・・それがハンターの掟だ。 そういうわけだから、お前には死んでもらうぞ、ギース!」

狙いをギースに定め、右手で自慢の槍を握り、攻撃態勢をとる。
状況的に、モリガンを脱出させる為には、ギースを気絶させるだけでよかった。
だが復讐の刃が、いつアズンを捉えるか知れない。
事前にその刃を砕いておくことは、ハンターとして最も効率よく生きていく方法であり、古来より培われてきたハンターとしての伝統でもあった。
特に、社会的『悪』を攻撃対象とする一般的なハンターではなく、個人や集団における私的な目標を遂行するための、代理人としてのハンターにとっては、非常に重要なことだった。
気付けば、センは構えに入ったアズンの背後に移動している。
ギースとアズンの間には、絡み合う視線と緊張のみがその存在を許されていた。
背筋に汗が流れる。
フッ、とギースの視界から長槍が姿を消した。
体勢を極端に屈め、地面と平行に槍を構えると、一気に間合いを詰める。
『槍神』の瞳に映ったのは、黒衣の女に抱かれ、目を閉じ早口で何かを詠唱する男の姿。
次の瞬間、彼の視界は強烈な閃光に、白く染まっていた。

「しまっ―――!!!」
「あうゥッ!!?」

反射的に跳ね退く『槍神』と『抱縛』。
眼球が異常に熱い。

「・・・―――!!?」

少し離れた場所から、悲鳴の欠片だけを切り抜いたような声が響き、辛うじて白から解放された視界には、直前に見ていた男の顔があった。
唯一つの違いは、その眼が見開かれていたことだった。
続く側頭部への痛烈な衝撃に、アズンの意識が揺らぐ。

「フルルぅーーーッ!!」

初期位置から突っ込んできた勢いをそのままに、アズンの握っていた封水晶を空いた手で鷲掴み、一気に引き剥がす。
そのままアズンの真横を走りぬけた直後、踏み込んだ足を軸に身体を捻り、第一撃とは逆の側頭部に第二撃。
絶対に掴み返されるわけにはいかない。
それだけでこの脱出作戦が失敗に終わることになるのだ。
捻った身体を慣性に遵って回転させ、出入り口に向かって疾走する。
後一歩・・・・・・一瞬、視界が振動する。
次に彼が見たものは宿屋の床面だった。

「申し訳ありません、まだフルルさんを貴方にお返しするわけにはいきません。 私は、フルルさんを窮屈な器から解放して差し上げねばならないのです・・・・・・ギース君、夜はまだ始まったばかりですよ」

言葉は最後までギースの耳に届いたが、それを理解するには至らなかった。
ギースはその意識のある限り、強く封水晶を握り締めていた。

「さて、どうしたものか・・・」

センは困ったように周りを見回すと、封水晶を拾い上げ暗天にかざし、封水晶越しに見える月を静かに睨んだ。

「・・・良い満月ですね」

独り言なのか、意識を失っているフルルに向いたものなのか、彼の呟きは静かな月下に響き渡った。




「!!」

被せられた布を撥ね退けると、上半身が勢いよく跳ね上がった。
肩の動きが自分でもわかるほど、呼吸が荒い。
暗がりの中、辺りを見回してみると、そこはドラゴン討伐ミッションの待機所として使っていた宿屋の一室だった。

「夢・・・・・・ッ!?」

首筋に鈍い痛みが走る。
咄嗟に手で押さえたが、特に外傷はない。
その手をゆっくりと頬に持って行ってやると、そこにはくっきりと直線系の傷痕が残っていた。
再び辺りを見回す。
整然とした部屋だが、よく見ると床にナイフの刺さった跡が残っていた。
そして何より、フルルがいない。
間違いない、さっきまでの出来事は夢幻ではない。
確信すると同時に、額に冷や汗が滲み出た。
布団から飛び起きると、急いでテラスから空を見上げた。
予想に反し、事件が起こる前とほぼ同じ位置に、満月が鎮座している。
どうやら、それほど長時間倒れていたわけではないらしい。
・・・・・・取り戻せなかった。
閃光系魔法で『抱縛』のモリガンを跳ね飛ばし、『槍神』のアズンから封水晶を奪い取ったまでは良かった。
もちろん、“彼”の存在を忘れていたわけではなかった。
ただ、こっちの奥の手まで読まれているとは思わなかったのだ。
簡単なところから生まれた慢心。
だが、ギースに後悔をしている暇はなかった。
彼の持ち得る情報から、目的地は一つしかない。

「返してもらうぞ、セン・・・」

ロッドを握り締め、ギースは部屋を飛び出した。


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