満月の下を歩むギースの足取りに迷いはない。ギースは“彼ら”の居場所をはっきりと感じ取っていた。湿った大地を踏みしめ、着実に彼我の距離を縮める。
 フルルを取り戻すために、ギースはまた一歩踏み出す。
 そんな彼の脳裏には、或る満月の夜の出来事が浮かんでいた。

「くぅっ……」
 木に背を預けたギースが呻き声を漏らす。
 村の畑を荒らすレッサードラゴンの退治依頼という、ごく簡単な仕事を済ませた直後。
「油断した……」
 一人呟いて傷口に手を当てる。そこからは赤黒い液体がじわじわと染み出していた。
 これまでたくさんの仕事をこなしてきたギースにとっては軽い仕事のはずだった。しかしそこに油断が生じる余地があった。結果、こうして深手を負ってしまった。
 痛みに顔を歪めながら満月を仰ぐギース。
 枝葉を縫って差し込む光のさらに先に在る満月。
 夜の支配者たる月の存在にギースは舌打ちをする。
 その時、木々がざわ、と揺らめいた。
 そしてギースは夜空に浮かぶ光を見た。
 月の光を反射して輝く白銀の身体。大きな翼を広げて天空をわたる雄姿。ドラゴンの中でも得に貴重な種族、シルバードラゴン。
「あれ……?」
 その姿に目を細めていたギースは思わず呟いた。
「二体?」
 一目見る限りには一体の龍が飛行しているようにしか見えない。だが目を凝らすと二体の龍が翼を重ねて滑空しているように見えた。
「比翼の龍……?」
 ギースは蓬莱山があると言われる大陸に伝わる『比翼の鳥』の伝説を思い出した。ある二羽の鳥には片方の目、片方の翼が無く、二羽が寄り添うことで幸せに暮らしたという伝説。
 ギースは初めて見るシルバードラゴンに目を奪われる。夜空という広大な海原を泳ぐ二体は実に優雅だ。その姿は今まで目撃されたシルバードラゴンの姿とはずいぶん質を隔てていた。一般に知られるシルバードラゴンは、現存するドラゴンの中で最も凶暴な種だとか、一夜にして国を滅ぼしたとか、極めて危険な生物としてしか存在しない。しかしギースは目に映る二体のドラゴンが凶暴な存在とは到底思えなかった。
 二つの影が夜空から消失するまで、ギースは瞬き一つせずにその姿を見つめていた。

 そして翌日、ギースは負傷した身体を引きずってギルドに帰還し、レッサードラゴン退治の報酬を受け取り、次の仕事を引き受けた。
 その次の仕事で出会ったのがフルルだった。

 シルバードラゴンは比翼の龍。一体では満足に空も飛べない不完全な存在。
 それがフルルと出会って確立したギースのシルバードラゴン像だった。
 そしてそのシルバードラゴンに対する考えがドラゴンをむやみに倒すことを躊躇させる。しかし一方ではフルルを研究材料として欲している組織が存在し、その手先として動く人間が存在する―。

 ギースはフルルに向けて進めていた歩みをはたと止めた。
 自分の懐から漏れるほのかな光に気づいたからだ。手を差し入れて映し石を取り出す。
 アズンらからの連絡を予測したギースの手は、緊張に震えていた。
 しかし映し石から聞こえてきたのは、予想に反して切迫した声だった。
「ギース! 出た、ブラックドラゴンだ!」
「なんだって!?」
 フルルのことで頭がいっぱいだったギースは、突然の知らせにめまいを覚えた。今はブラックドラゴンを倒す仕事の最中だったことをすっかり忘れていた。映し石に映るのは残りのグループの一人だった。
「至急応援に来てくれ。もう何分も持たないっ! うちの魔法使いがやられて、手も足も出ないんだ!」
 ギースはどう答えたものか一瞬思案げに目を瞑る。
 フルルを取るか、仕事を取るか。
 しかしその答えが映し石の向こうで奮戦する男に届くことはなかった。
「……っ!」
 ギースは風の流れを察知して右に飛ぶ。左を走り抜けた光が映し石を真っ二つにする。
「答えなど、決まっているものを」
 冷ややかに放たれた言葉にギースは歯ぎしりする。
「アズンっ!」
 一瞬前にギースを襲った槍は、既に彼の手元に戻っている。『槍神』の名は伊達ではない。
「さて、これでどんな道を選ぶにせよ、私を倒す以外にはなくなった……」
 静かな殺意を抱いた双眸が、油断なくギースを捉える。
「来いギース、相手になるぞ!」
 言うやギースの目前まで槍が迫る。しかしその一撃に殺意はない。ただの挑発だ。ギースは首を横にずらすことでそれを避け、槍先に指をかける。
「アズン、『抱縛』と『蓬莱』の姿が見えないがどういう事だ?」
「私はお前に一対一の勝負を要求したのだ。その意味がわからないのか?」
 低く唸るようなギースの声に、アズンは普段通りの冷静さで返した。しかしギースにはアズンの行動の意図が読めない。
「ありえねぇ。俺の知る限り『蓬莱』はそんなに甘い人間じゃねぇ!」
「『蓬莱』はお前は俺に勝てないと考えたんだ。そろそろ気づけ、自分の無能に!」
 はっとするギース。しかしそれも一瞬のことで、ギースは槍を掴んだ指先に力を入れた。
「ふ……やっとやる気になったか」
 ギースの力に押されたわけではなかったが、アズンは槍を引き戻した。
「アズン、俺はフルルを取り返し、ブラックドラゴンを片付ける!」
 ギースは杖を胸の高さに構えて吠えた。
「そのために、貴様を倒す!」
 天使を象った杖の先端から光が飛び出すのを捉えながら、アズンは唇に笑みを浮かべた。
「お前の甘ったれた考えでは、どのみち近いうちに死ぬだろう。ならばせめてこの『槍神』のアズンがお前に引導を渡してくれるわっ!」
 真っ直ぐに突き出されたアズンの槍がギースが放った炎を切り裂いた。その勢いのままに喉元を剔ろうとする槍先から逃れてギースは後ろに跳ねる。
 しかしそれで稼げる時間もほんの一瞬。アズンは槍を引き戻しつつ接近し、至近距離での一撃を狙ってくる。
 猛然と近づくアズン。が、突然彼の足元から光が爆発した。そこは先ほどギースがいた地点。気づかれぬようトラップ型魔法が仕掛けられていたのだ。
 ギースは立ち上る煙の向こうに目を凝らす。月明かりしかない森の中。見通しは極めて悪く、一瞬の油断が命取りになる。
「!!」
 煙の揺らめきを敏感に感じたギースは左に転んで突き出された槍をかわす。第二、第三撃が立て続けにギースを襲う。反撃のいとまを与えないアズンの攻撃に舌打ちしつつも、先ほどのトラップが効いたことを鈍った槍の勢いから感じ取る。
 飛び込むようにして木の裏側に回るギース。しかしアズンの槍は大木など全く意に介さずにそのまま突き出される。その突きが大木を真っ二つにしてギースを襲う。
 しかし―
 「なに!?」
 アズンは驚きの声を上げた。ギースの喉に槍が突き刺さろうかという寸前で槍は突進力を失い、完全に停止してしまったのだ。
 そんな絶好のチャンスを逃すギースではない。杖先から放たれた青白い電撃がアズンに襲いかかる。狼狽えながらも逃れようとするアズン。しかしなぜか足が動かない。
 瞬間、ばちばち、という壮絶な音がしたかと思うと、アズンは膝から崩れ落ちた。それを合図とばかりにアズンの足に絡みついていた植物が異常成長し、彼の身体を縛り上げた。
「……俺の勝ちだ」
 ギースはアズンに歩み寄り、無機質な声を投げかけた。
「な……なぜ……」
「槍が動かなくなったわけか? よく見てみろよ」
 アズンは今にも気絶しそうになる脳を叱咤して目を細める。その先にはアズンの槍が立派な大木に突き刺さっていた。切り裂いたつもりでいた木が、ギースの魔法によって一瞬にして傷口を塞ぎ、槍を捕らえたのだ。何が起こったのか理解したアズンはとうとう項垂れた。
「……殺せ」
「殺さねぇよ」
 即座に返すギースに、アズンは力なく笑った。
「……いつか、殺されるぞ……?」
「知らなかったか?」
 ギースはうつむき加減に静かに呟く。
「どいつもこいつも、いつか死ぬんだぜ」
 顔を上げると、アズンは既に気を失っていた。


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