風の駆け抜ける森。 前方に見えるは木、木、木。 見渡せど森。 同じ景色が繰り返される。 木々の隙間から漏れる月明かりが妙に眩しい。 ギースは、「月と魔力には密接な相互関係がある」と残した偉人がいたことを思い出していた。 まさにそれを体現しているかのように研ぎ澄まされた彼の感性が、前方から流れ来る『魔力の波』を、敏感に感じ取っていた。 魔力には、人それぞれに特徴がある。 放たれる力が大きければ大きいほど、広範囲に亘って、その力を感じることが出来る。 無論それは、その力を感じる対象の力量も重要となるのだが、そこは魔法使いのハンターとして名を馳せているギースである。 彼はそれを『生きるために要する当然の術』として体得・練磨していた。 ある一点から二種類・・・フルルとセンの、強力な魔力の波を感じる。 それは彼らの位置を示す道標となると同時に、彼らが『魔力を放つ何か』を行っていることに他ならない。 意味もなく力を放つほど、センは己に酔える人間ではなかった。 少なくとも、ギースはそう思っていた。 「・・・・・・近いな・・・」 全力で走っているはずなのに、いつもより足が重く、遅い。 アズンとの戦闘の直後だから、湿った地面に足を取られている・・・という要素もあったのだが、それとはまた別の枷が、ギースの足に纏わり付いているように思えた。 それでも足を前に出す。 思うように前に進まない身体を、前へと押し出す。 滲み出る汗が、横へ、後ろへと流れる。 彼には、決して止まることはできなかった。 感覚が散漫している。 センの魔力、フルルの魔力、枝葉越しの満月、森・・・・・・ それら全ての要素が絡み合い、断続的な記憶のフラッシュバックがギースを襲う。 傷口の痛み、滲み出る血の匂い、そして比翼の龍。 普段ならば彼の足を止めるには充分な既視感だったが、それ以上に、魔力の波の源で何が起きているのか・・・・・・好奇心と焦燥感の入り混じった感覚が、彼の背中を押していた。 自然と足が軽くなっている。 ギースは目を見開き、正面を見据えた。 視界が開ける。 光。 ギースはそこで初めて、足を止めた。 小さな湖と、辺に立つ小さな小屋、それを覆うように放射状に広がる森。 精霊でも現れそうなほどに澄み渡った空間。 今まで感じていた魔力の波の原点であるにもかかわらず、纏わり付くような重圧は感じない。 むしろその波自体が、この幻想的な空間を作り出している。 そう、そこには『虚』が棲んでいた。 「銀翼の姫を守る騎士がお迎えに来ましたよ、フルルさん」 穏やかな声が響く。 水面に、仰向きに浮かぶフルルと、同じ水面に足をつけたまま浮いているセン。 セミロングの黒髪を揺らし、ゆっくりと振り向く。 微笑みを湛えた表情に、ナチュラルブルーの瞳、紛れもなく彼は『蓬莱』のセンである。 「よう、フルルを返してもらいに来たぞ」 「さすがですね、ギース君。 『槍神』や『抱縛』でさえも倒されましたか」 「アズンなら、ちょっと先で寝てるぜ。 モリガンには会わなかったがな」 「そう・・・ですか」 寂しそうに呟くと、センは目を閉じて小さく頷き、月夜を仰いだ。 そんなセンの姿を遠くから眺めながら、自分が妙に落ち着いていることに、ギースは驚いていた。 ここに来て、初めてフルルの姿を確認できたからだろうか。 フルルが生きていることは予め確信していたが、想像は視認に敵うこともなし、実際にその目で確認したフルルの姿が、ギースに冷静さを取り戻させていた。 彼の足は、前に進むことはなかった。 安堵からではない。 この幻想空間を破壊しかねないという危惧が、彼をその場に縛り付けていた。 「ところで、フルルは無事なんだろうな?」 「その事でしたらご安心を、今はまだ眠ってもらっているだけです」 「そうか。 ・・・・・・で、アンタの目的は何なんだ?」 「・・・そう、ですね。 フルルさんを追ってここまで来た貴方には、それを知る権利があります」 水面を、波一つ立てず、ギースに歩み寄る。 辺に着くと、湖を振り返った。 「この場所は、いつでも変わらない・・・・・・。 少し昔の話です。 そこの小屋に、子供が二人で住んでいました」 静かに語り始めるセン。 ギースに対して完全に背を向けているため、センがどんな表情で話をしているのかわからない。 だが、今はどう見ても宿主を持たぬ小屋。 想像し得るに、楽しい話ではないことは明らかだった。 「魚を釣り、獣を狩り、木を育て、彼らはその日その日を必死に生きていました。 ですがある日・・・そう、確かギース君とフルルさんが出会う数十日前の事です。 彼らは突如、この森から姿を消しました。 何故だかわかりますか?」 「・・・・・・いや・・・」 「彼らは、そこで人間としての人生を終えた・・・・・・舞い降りたのですよ。 白衣の救世主の姿をした悪魔がね・・・」 柔らかな風が、ギースの頬を掠めるように通り抜ける。 一瞬にして、空間が別の色に染まっていくような第六感の錯覚。 「その翌朝、目覚めてみれば何もかもが違いました。 白いベッドが二台置かれただけの真っ白な部屋、そして、背中には一枚の翼・・・・・・今までと同じものがあったなら、それは隣にいた妹の姿だけ」 ギースの頭の中に、一つの映像がよぎる。 満月を背負い舞う、比翼のシルバードラゴンの姿。 噂に聞く凶悪なイメージからはかけ離れた、一対で生きる本当の『つがい』。 「そこから先は、人として生きる権利を失った実験体そのものでした。 全ては眠りの中で行われ、一日の約九割が夢の中・・・・・・何が現実で、どこからが夢なのか、何を考えても結論に届かず、これが自分達の正しい姿なのだと、思考が倒錯し始めた頃・・・・・・彼らの脳裏に、同じ声が聞こえました。 次の瞬間、彼らは日の光を、誰よりも高いところで浴びていました。」 「なぁ、もしかしてそれが・・・・・・俺が見た、比翼のシルバードラゴンなのか?」 「比・・・翼? ふふ・・・あはははははは―――」 一瞬の間、そして堰を切ったように漏れ出す高笑い。 普段のセンからは想像もつかない姿に、ギースは戸惑いを隠せなかった。 「そうか、比翼か。 そうですね、確かにそう見えなくもない、ふふっ」 センの笑い声が徐々にくぐもっていき、何かに納得したように何度か頷くと、真剣な顔でギースに向き直った。 「ギース君、そもそもシルバードラゴンなどという種族は、自然には存在しないのですよ」 「な・・・・・・ちょっと待て、シルバードラゴンを見た人間もいる! そいつらが比翼じゃなかったとしても、いないなんてことはないだろ!? 現にフルルだって―――」 「彼らは、人間・・・・・・研究所の手によって創られた種族なのですよ」 ざわ。 一陣の風が吹きぬけた。 唾液が喉を通る、その蠕動音ですら、空間に張り巡らされた緊張の糸を切り裂くには充分であるかに思えた。 「どちらでもあり、どちらでもない存在。 彼らにとって同胞と呼べる存在は、この世にはほとんど存在しない。 哺乳類にも鳥類からも突き放された哀れな蝙蝠よりも孤独な存在、それがシルバードラゴンなのですよ」 「・・・ってことは、あの時見たシルバードラゴンは・・・・・・それに、フルルは・・・・・・」 困惑。 月明かりの下、煌めきを返す華麗な姿は一転、月に睨まれながら、深緑の森に姿を隠した魔手から逃れる術を求める哀れな比翼の龍へと、その記憶の色を変えた。 「そろそろですか。 ・・・・・・残念ですが、ここまでのようです」 「なっ!? おい―――!」 「この場を去りなさい。 これ以上、あなたはこの場にいないほうがフルルのためです」 哀しみの風が凪ぐ。 虚から現へ。 再び色を変えた風が吹いた時、幻想は、そこで第一の幕を閉じた。 |