第21章 正しいカレーの作り方

―魔王城 大食堂
マルチナが使徒化して数年、大食堂の入り口には大きな看板が取り付けられている。
『サクラ&パスタ』
開店から半年ほどで大陸中知らぬ者がいなくなったほど大繁盛している。安い、うまい、量が多いと三拍子そろっているのが人気の秘密だ。
そのサクラ&パスタの一角には常に空席がある。
そこは魔人や魔王の予約席でホーネットたち一部の魔人はほとんどここで食事を取っていた。
その日午後十時ごろになってホーネットがサテラ、シルキイを連れて現れた。
「いらっしゃいませ」
ホーネット達に気づいてメイドさん(マルチナの弟子兼ウェイトレス)が水を持ってやってきた。
「遅くなったけど残ってる?」
「えっと、か、カレーならありますが……その、あまりお勧めできません……」
「どういうことだ? お前はサテラに夕飯抜きにしろというのか!」
「い、いえ! すぐもって参ります!」
腹が減っているせいでサテラの機嫌がすこぶる悪い。メイドさんは血相を変えて厨房に飛び込んだ。
「それにしてもお勧めできないってどういう意味だったのでしょうね……」
シルキィはテーブルに突っ伏したままぼそぼそと呟いた。
「二人ともだらしないわよ。もう少ししゃきっとしなさい」
「ホーネットは平気なの? 朝から昼ごはん抜きでず〜〜〜っと仕事詰めだぞ? サテラはもう字が見たくない……」
「飲まず食わずで14時間……朝の8時からですからね……自分でもよく持ったと思いますよ」
今日中に済ませておきたい事項があり3人は朝から執務室に詰めていた。
ホーネットほど集中力がない2人には辛過ぎたようだ。
それにホントの所ホーネットは自分の机の引き出しにしまってあるお菓子をつまんでいた。
それゆえ平気だったのだが。

それから間もなくカレーの皿が運ばれてくる。悲劇が始まった。

おいしそうに湯気を立てている出来立てのカレー。絶妙なスパイスの香りがなんともいえない。ホーネットはルーとライスをすくって一口。サテラとシルキィは待ちきれなかったのかメイドさんから皿を引っ手繰ると皿の3分の1くらいを一気に口に流し込んだ。
「$&%!?¥?!!!」
「?!?!?!&%&%$」
「#%&%$?!!!」
三者三様の解読不能な悲鳴。
サテラは椅子から立ち上がり何かを求めて2,3歩歩く。そのまま前のめりに倒れて動かなくなった。シルキィは喉をかきむしって悶絶。テーブルに突っ伏して痙攣し始めた。
ホーネットは量が少なかったためか意識は保っていた。だが襲い来る猛烈な吐き気と寒気。
「こ、これは……?」
それだけ言うのが精一杯だった。油汗がダラダラ出てきて嫌に体が冷える。
体の自由が利かない。まるで毒でも盛られたような……。
ホーネットにも限界がやってきてぐらりと前のめりになる。
落下予定地点にはカレーの皿が。そこに顔を突っ込むことになるが体は動かない。
「氷の矢!」
誰かが魔法を使いホーネットの眼前に迫ってきていた皿を弾き飛ばした。
ゴン。ホーネットは額をテーブルに打ち付けた。
そのショックでわずかに体の自由が戻る。氷の矢が飛んできた方向を見るとアールコートがいた。
「ホーネットさん……あれを食べたんですか……?」
「え……ええ。なんなのですかあれは……」
アールコートは黙って床を指差した。その先には例のカレーがひっくり返っていて、恐ろしい事にルーを浴びた床が融けていた。
「……床を融かすほど強い毒……」
「……床が融けてしまうほど不味いんです」
二人のセリフがシンクロしてお互いを怪訝そうに見つめる。
「不味い?」
「毒、ですか?」
と、そこでホーネットの意識は途切れた。

数時間後、真夜中である。
ホーネットは鼻をくすぐる甘い香りで目を覚ました。ゆっくりと体を起こす。
まだ頭痛は抜けきっていなかった。
自分のいる場所は見慣れた自分の部屋のベッド。ふと見るとアールコートがベッドに突っ伏す格好で寝ていた。どうも彼女が看病していたようだ。
それにしてもなんだったのかと考える。とたんに腹がなった。
追い討ちをかけるようにアールコートがその音で目を覚ました。
恥ずかしい事この上ない。
「あ……ホーネットさん……おはようございます。……今変な音がしませんでしたか?」
いいえ別に、という前にまたホーネットの腹がかわいく鳴った。
「あ、えっと……食堂行きましょう、たいしたものは作れませんけど何か作ります。あとあのカレーの事についてもお話します」
「カレー……」
その単語を聞いただけで頭痛が襲い掛かってきた。

―食堂
ホーネットの前にずらりと料理が並ぶ。
「はい、どうぞ。味はあまり期待しないで下さいね」
ホーネットは内心豪勢な料理に驚きつつその料理に口をつける。うまかった。
「あの料理、実は―」
先ほどのホーネットの反応を考慮してアールコートは『カレー』を『料理』と言い換えて話し始めた。
「マルチナさんが作ったんじゃないんです。ホーネットさんは朝から執務室にいらしたから知らなかったと思いますが、マルチナさんとガルティアさんはサーレン山にピクニックに行ってるんです」
そういえばガルティアがそんなことを言っていたような気がする。
「では誰が作ったんですか?」
「えっと……実は王様です」
そのセリフがホーネットに浸透するまでたっぷり1分はかかった。
「ラ、ランス様が? ……またどうして?」
「王様はマルチナさんが居ないと知ると自分が代わりに作るから手伝えって私に言ってこられたんです。私が下ごしらえをして王様が調理するはずだったんですが……その……」
アールコートが真っ赤になって言いよどむ。ここから先は出来れば人に聞かせたくなかった。まず、『エプロンをつけろ』と言われなぜか裸エプロンにされた。そのままの勢いで調理台にのせられ抱かれ気絶。とどめとばかりに生クリームやイチゴ等で体中にデコレートされた。ホーネットを起こした甘い匂いのもとはこれである。シャワーを浴びたにもかかわらずいまだに匂いは消えていない。
「……と、とにかくあれは王様一人のときに作られたんです。どうやってつくったのか……想像しかねますが」
「そんな……ランス様が私に毒を……」
「毒? 違いますよ。材料は私が用意しましたから。あれは味付けが悪いんです」
「味……付け?」
何をどう間違えればあんな破壊的な味が作り出せるのか?
「王様が言うにはちょっと味付けに加減が出来なかったそうで……他にもレイさんや志津香さんも被害にあわれているんです……なのに王様ったらあれを鍋いっぱい……」
「鍋いっぱい……魔人ですら昏倒させるものを……」
「あれをあのままにはして置けません。リセットちゃんなんかが食べたら……」
即死と断言しても良いだろう。
「ですから処分するのを手伝ってください。王様に気づかれないうちに」
「もちろんです」
ホーネットは即断した。死者が出ないうちにそうしないとさすがにマズイと判断した。
「……でもあれを処分するだけなら貴女一人でも出来るのでは?」
フルフルとアールコートは首を振る。
「まさか近づいたら襲いかかってくるのでは?」
「そういうわけじゃなくて……王様、結界を張っているんです。件の鍋の周りに……」
「つまみ食い対策なのでしょうか……」
「おそらく……」
魔王の張った結界などそうそう破れるものではない。
「ならば、人数を集めて結界を破りましょう」

しばらくして厨房にアールコート、志津香、ホーネット、ハウゼルの4人が集まった。
そして、4人の前にはガラスの箱に入れられたような鍋がある。
目に見えるほど強力な結界だった。
「どうしよう……今の状態じゃ破れる気がしないわ……」
「で、でも……」
「わかってる。リセットちゃんなんかが食べたらことだしね。……ホントは見るのもいやだけどやるっきゃないでしょ」
「ホーネット様、休まれた方がよろしいのでは?」
「大丈夫よ、ハウゼル。一人でも多い方が楽でしょうし……」
だが、結局の所ホーネットと志津香はほぼ戦力外。
おまけにホーネットはブービートラップに引っかかり全て台無しにしてしまった。

10分後、4人はなぜかテーブルについていた。
トラップに引っかかった者を見ようとやってきたランスに『そんなにカレーが食いたいならいくらでも食わせてやる』と、言われ逃げるタイミングを逃がした。
「私達、ここで死ぬのかな……?」
志津香は遠い目で呟いた。
「志津香さん、なんてことをいうんですか!」
「だってさ―」
4人とも椅子に縛り付けられていた。
「これよ? 私あれを食べて生き延びられる気がしないわ……」
「うぅ……せめて王様が味見をしてくれれば……」
「アールコートさん! それです! 魔王様がカレーを一口でも食べれば気がつくはずです!」
「なるほど……ハウゼルの言うとおりですね。しかし、問題はどうやってランス様に食べさせるかですが……」
4人はぼそぼそと相談し始めた。縛られたまま器用に顔を寄せて。
しばらくして、ランスがカレーライスの皿を持ってきた。
「ほら温めてきてやったぞ食え」
それぞれの前にカレーが置かれる。見た目と香りはマルチナのそれに匹敵する。
だが、問題は味である。
(何をどうすればこんなものが出来るのかしら?)
ホーネットは首をかしげた。
「ん、どうした食わないのか?」
ランスの言葉に4人は目配せして合図をしあった。
作戦T発動。
「あのねランス……縛られてた手が痺れていたいの……食べさせて」
普段絶対志津香はランスに甘えたりしない。言ってる本人も真っ赤になっている。
ちなみに言われた方はというと壁まで引いた。
「志津香……変なもんでも食ったか?」
(あんたが食わせたんでしょ!!)と叫びたいのをがまんしてじっとランスを見つめる。
「……もういい……私だって……女なのに……」
すねた口調でそっぽ向く。効果は劇的だった。
「す、すまん! 機嫌直せ」
「ちゃんと食べられる温度か確認して食べさせてね……私猫舌だから」
「お、おう」
ランスがフーフーやっている。とっても様にならない。
「熱くない?」
ランスはちょびっとなめてみた。そしてちょっと眉をしかめた。
作戦T成功と思われたが……大丈夫だなと呟いたランスはスプーンを志津香の口元に運んだ。もはや食べないという選択肢はなく……。パク。
志津香戦線離脱。
「お〜い、志津香? 寝たのか?」
気絶したのである。
「ま、いいか。ところでお前達は食わんのか?」
アールコートは深呼吸を一つしてランスのほうを向く。
作戦U発動。
「え、えっとその……王様と一緒に食べたいと……」
「そうだな。よし、俺も食おう」
作戦Uあっさり成功と、行くわけが無く……。
「アールコート、口移しで食わせろ」
「ええ!?」
「嫌か?」
意地悪そうに聞き返すランス。アールコートは決意した。
「わかりました」
アールコートはルーとジャガイモをパクリ。気力で意識を繋ぎとめる。
「ちゃんと食べやすくかんでくれよ」
もぐもぐと咀嚼。ランスにくちづけしようとしてアールコートの動きが止まった。限界。
二番手アールコートも戦線離脱。
「おいおい、アールコートもか。……もしかして俺のカレーがそんなにうまかったか?」
真逆である。だがランスはまだ気づいていない。
作戦V発動。
ホーネットはランスの目を盗んで食べたふりをする。
「本当においしいですわ。二人とも感激したのではないでしょうか」
心にも無い一言。表情は小さく微笑を浮かべて。
その笑みはランスのハートを鷲掴みにした。
「ガハハハ、そうだろう。なんたって俺様は天才だからな!」
(いまだ!)
ずっとタイミングを見計らっていたハウゼルは自分の皿の下に炎の矢をうちこんだ。
皿は弧を描いて飛び上向き加減でガハガハ笑っているランスの顔の上へ。
べシャッとかかってランスの口へたっぷりと流れ込んだ。
「やった!」
ホーネットとハウゼルは思わずガッツポーズ。
作戦V成功。ランスは痙攣しながら倒れて2週間ほど起きなかった。

この日を境に『サクラ&パスタ』のメニューからカレーライスが消えた。
魔王命令であった。

「ところでランス様、本当にアールコートさんが用意したもの以外は使ってないのですか?」
後日ランスは被害者たちに尋問を受けていた。
「そんな恐い顔をするなホーネット。綺麗な顔が台無しだぞ」
「はぐらかさないで下さい。どうなのですか?」
「……実はな、○○○○○を使った」
「「「「「「「ええええええっ!!!!????」」」」」」」
ランスが何を使ったのかそれはご想像にお任せする。


あとがき
この話を思いついたとき5食連続カレーでした。
かなりきつかったです。

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