己がみちを

強き男


 ―雨が降りしきる明朝、白む空の街角で―

 最初に感じたのは言いしれない高揚感。

 ―俺は拳を振りまわす―

 でもそんなもんは長くは続かない。

 −俺の拳ばかりが感触を得る―

 次に感じるのはあっけなさ。

 ―殴るのも馬鹿らしくなり、よろよろの『敵』の動きを無防備に眺める―

 あっけなさはだんだん、煮えたぎるような怒りに変わる。

 ―昔は畏怖の念まで抱いた相手―

 そんな怒りもすぐに冷め、最後に残るのは虚しさだけだ。

 ―あの『こいつ』が俺に―

 いつも。

 ―今の俺に手も足も出ない―

 いつもそうだ。

 ―とても勝利をつかむ瞬間とは思えない、唇をかみしめた悲痛な表情だけが浮かぶ俺の顔―

 最後の一撃の熱が残る、右の拳を強く強く握りしめる。

 ―あんなに、強かったのに―

 握りしめたてのひらから、殴り飛ばした相手のものとは別の血が流れ落ちる。

 ―奇妙な音が耳元から聞こえてくる―

 俺は泣かない。

 ―雨の音に混じって、変な調和を生むこの音はなんだ?―

 俺は強いんだ。

 −いつまでもここに、立ちどまってはいられない―

 俺は―

 ―やがて雨がやみ、残ったのは俺の耳障りな泣き声だけだった―
   


   
 あらあら、泣きだしちゃったじゃない。
 あの相手をいとも簡単にやっつけたのはそれなりに評価できるんだけど……泣き虫なのかしら?
 私は、雨に打たれていた彼を、背後から堂々と逃げず隠れず監視している。
 まだ姿を見られていい段階ではないのだけれど。
 見られてはいけないのに、背後に立っていられる余裕があるのにはわけがある。
 それは、なんの遮蔽物もない背後にいても、私が見つかる事はないから。
 絶対に。
 彼が相手なら。
 なんかのCMの言葉を借りてもいい。
 『自信があります。』
 そう、私は彼程度ならぜんぜん問題ないの。
 ホントは、問題ない相手じゃいけないのだけれど。
 私は問題のある、つまり強い、それはもう尋常じゃなく強い人材を求めている。
 そういう仕事をしているの。
 彼は強くて、素質がある。
 素質が、可能性があるものにはチェックが入れられる。
 だから、彼が本当に問題ない人物か、問題ある人物なのかを確かめないといけない。
 確かめるために、私はここにいる。
 それが私の仕事。
 今の私は、いち導き手候補。
 導き手というのは、単純に、強いものを導く者、というのが一番分かりやすい意味だ。
s 他にもいろいろあるんだけど秘密裏にされてる事だから言えない上に実は私もよく知らなくて……
 …………
 ……とにかく!
 彼が問題ある人物で、つまりむちゃくちゃ強かったら、私は正式な導き手になれる。
 彼が問題ない、ただのケンカ自慢ならば私も彼もここまで、ってこと。
 すべてはこのあと行われる検査にかかっている。
 彼がそれを突破できれば、私は晴れて三人目の導き手となれる。
 そしてそうなれば、彼は望んでも望まなくても……




 「……」
 ……なにやってんだ、俺……
 「……ちっ……」
 すべてが憎たらしく思えてした舌打ちも、弱々しく消える。
 「ゆるせねぇ……」
 口走っていた。
 (ゆるせね……え?)
 自分で言った言葉の意味がわからなかった。
 確かにこんなに弱っちくなっちまった弧峰(コミネ)も、甘ったれた世の中も大嫌いだ。
 大嫌いだけど、許せないとはどういう事だ?
 雨の中で殴り合ってたせいで(つっても、俺が一方的に殴ってただけなんだけど)
 お気に入りのジーパンが水を吸って足にへばりつく。
 梅雨の気持ち悪い雨が、俺のいらだつ気持ちを逆なでする。
 「……ちっ!」
 今度こそ強く舌打ちして、訳の分からない不安を切り捨てた。
 切り捨てたつもりになった。
 「…………」
 お……!?
 新しい違和感が生まれた。
 今度のは自分に対する嫌な違和感じゃない。
 昔っから俺に備わっていた、野生の勘みたいなヤツが感じる違和感。
 これまで何度も味わってきた、ゾクゾクするような気配。
 あの日までは、残ったのは痛烈な痛みと憎しみと、リベンジを思う気持ち。
 今はただ一つ、虚しさが残るだけ。
 虚しさが残るだけと分かっていても、このゾクゾクは止められねぇ。
 ……待て……
 あの日までは……だと?
 あの日っていつだ?
 俺の頭はまたしても混乱し、そのつかみようのない内容にいらだった。
 そんな俺にはお構いなしに、違和感はどんどん近づいてくる。
 ここは二つの大通りをつなぐ脇道で、俺の左右を塞いでいるのは壁だ。
 ケンカの場所として、おあつらえむきだ。
 現にここで対峙した弧峰はあっさり倒せた。
 文句はない。
 文句はないのにこの感じはなんだ?
 無意識のうちに道の幅を目で再確認していた。
 1メートル80……てとこか。
 俺は背中を壁にあずけ、道の両側をきょろきょろとせわしなく確認した。
 まだ視界に入らない。
 でも違和感は、どんどん大きくなっていく。
 違和感が脳を刺激し、緊張感に満たされる。
 緊張感に満たされた脳は、知らない間に俺の悩みや混乱をすっきりと忘れさせていた。
 どくん……
 俺の瞳孔が見開かれたのが自分で分かる。
 それほどまでに、近くに、強い違和感を感じる。
 (久しぶりだ……)
 強いヤツの、視線を感じる。
 (……いや、はじめてだ……)
 俺は近づく気配などお構いなしに、いや、その気配の強さに腰を折って笑う。
 自分の指の間から見える地面を睨みつけながら。
 (こんな感覚……はじめてだ……)
 俺は確信した。
 自分すら信じられなくなりかけていた俺が、なんの疑いもなくすんなり自分の導き出した結論を受け入れた。
 「見つけ出したぜぇ!!!」
 叫んでいた。
 同時に左へ跳んだ。
 研ぎ澄まされた神経が、相手が屋根から飛び降りてくるのを寸前で感じとった。
 そいつはさっきまで俺がいた場所を踏みにじるように降りたって、ニカッと笑って見せやがった。
 (こいつが俺を、満足させてくれやがる相手!!)
 確信が俺をたぎらせ、そいつを睨みつけさせる。
 こいつの動きを待ち受ける。
 こいつの第一声を待ち受ける。
 こいつのすべてを、返り討ちにするために。
 俺の口元は、獰猛な獣のように舌なめずりをして、挑戦するような笑みをかたどった。

   


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